« 救済者について | トップページ | 最も静かな時 »

2010/06/16

人間と交わるための賢さについて

 私たち信仰者は、天に属すると同時にまた地に属している。神と交わると共に世の人々と交わる。そこで、賢さが必要となる。主イエスも「あなたがたは、鳩のように聡く、蛇のように賢くあれ」と言われた。
 まず私たちは、この世における繁栄を求めてはならない。繁栄を求めるならば、世に欺かれることになる。第二に、世の人をいたわることである。彼らがいかに虚栄心に燃えていようとも、それを裁かないことが肝要である。というのは、彼らの虚栄心の動機は、実は彼らが自分に自信がないのであり、それをカバーするために他人からの賞賛を求めているからである。そこで、ツアラトストラが言うように、ある意味で、彼らほど自分を卑下している者もまたないのである。というのは、信仰者にして見れば、自分とは、天の神に愛される神の子であり、彼にはすべてが可能だからである。第三に、世を恐れてはならない。世の人は、様々なものを恐れる。彼らの幸福は、実に壊れやすいからである。しかし、私たちはそれらを恐れる必要はない。私たちは震われない国を受けているからである。
 しかし、そのように信仰者が世の人々と比較して、あらゆる面で卓越していようとも、私たちは世の人を見下したり、自分の信仰の確信を不用意に振りかざしたりしてはならない。そのようなことをすれば、世の人は、私たちを誤解してしまうからである。そこで、彼らを愛し、福音を伝えたいと思うなら、私たちは、ある程度彼らに調子を合わせる必要もある。但し、世のやり方ではなく、神に導かれたやり方でである。主イエスも、カイザルに税金を納められた。また、サマリヤの井戸べで女に水を乞い求められた。それらは、すべて福音を宣べ伝えるためであった。その意味では、世の人に対して真剣に対応しているとは言えない要素がそこに含まれるようにも思われるかも知れない。しかし、それらは一つの紳士的な配慮とも言えるし、また何よりも、愛から出た行為なのである。そして、それを働くために私たちは、肉体に留まり、世の組織に加わり、仕事に勤しむのである。そして一方、世の人は、この世の幸福を得んがために、肉体に頼り、世の組織に加わり、仕事に勤しむのである。
 「しかし、わたしはきみたちの仮装している姿を見たい、きみら隣人たちよ、同胞たちよ、十分にめかしこみ、見栄を張り、『善にして義なる者たち』のように威風堂々としている姿を。そして、わたし自身も、仮装してきみたちの間に座っていたい、それというのも、わたしがきみたちをもわたしをも誤認せんがためであるが。これがすなわち、人間と交わるための、わたしの最後の賢さなのだ」、ツアラトストラは、かく語った。

|

« 救済者について | トップページ | 最も静かな時 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人間と交わるための賢さについて:

« 救済者について | トップページ | 最も静かな時 »