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2010/06/06

第1章 人生の問題を解決する

 「問題」と聞くと、私たちは、「またか」と思う。そのとき私たちは、問題についてネガティブに受け取っているのである。もちろん、それ以外の受け取り方は、通常想定し難いだろう。しかし、この点で私たちは、もしかすると悪魔に騙されているのである。例えば、「問題は、起こるものであり、それは仕方のないことだ」と思うことにおいてである。しかしそれでは、その問題は、どこからやって来るのだろうか。もし悪魔から来るのだとすれば、私たちには返って希望がある。悪魔より強い方がおられるからである。また一方、問題が神から来るとすれば、私たちは、神が良いお方であることを知っている。それゆえに、ここでもまた希望を持つことができる。その場合には、神の良いご計画が現れ出ようとしているのであり、私たちが遭遇している問題には、神の栄光となる目的があるのである。そこで、すべては神の栄光のためになるのであり、私たちの内の誰一人、自分のために死ぬものはないのである。
 しかし、そうは言っても、問題自体は決して良いものではないだろう。それが無い方が良いに決まっている。しかしそれならば、そもそも問題というものはなぜ存在するのだろうか。ガジマ師は、問題の根源として、悪魔を想定する。問題を引き起こしているのが悪魔とその手下であり、それらが追い出されるとき、その結果としての問題も一気に解決するというのである。しかしそれでは、いったい悪魔はどこから来たのか。それは、天使が堕落したものだという。これは、キリスト教の比較的伝統的な考え方ではある。しかし続けて、なぜ天使が堕落したのかということまでは、ガジマ師は考えない。それは組織神学の問題である。彼のアプローチは、徹頭徹尾実践的である。というのは、彼自身、一度死んでよみがえった経験を持っているからである。そして、天国に比べたら、この世の生活は無きに等しいものだと言う。もし本当にそうだとしたら、私たちは、「問題はなぜあるのか」と問う必要などないだろう。私たちの国籍は天にあり、そここそが私たちの本当の住み家であり、この地上はかりそめの場所に過ぎない。それなら、そこが楽しい人生であろうが、苦しみの人生であろうが、その後の天国でのすばらしい生活に比べたら、取るに足らないことではないだろうか。それゆえ、ガジマ師は、この世界の物事の原因を深く追求したりしないのであろう。
 それでは、私たちは、この世における種々の問題に対して、どのように対処したら良いのだろうか。ガジマ師によれば、私たちは、この世の問題と戦うのではなく、悪魔の勢力と戦うのである。彼によれば、問題とは、悪魔の業の現れだからである。そして、私たちがこの世で主の御名により、悪魔の勢力を打ち破るとき、問題も解決される。逆に、問題だけを解決しようとしても、悪魔の勢力が残っている限り、一度解決されたかに見える問題も、再度噴出してくることになる。そこで、私たち主イエスに従う者にとって、もはや問題の解決は、目的ではないことになる。目的は、この世界において、悪魔の勢力と戦い、それに縛られている魂を主の御名によって解き放ち、主イエスを信じる信仰に導くことである。その目的を達成する中で、副産物として種々の問題が解決され、主の栄光が現わされるということになる。それには、私たちは祈らなければならない。祈りほど、悪魔の勢力との対決に効力のあるものはないからである。

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