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2010/05/31

死人がよみがえる!

Shinin 「死人がよみがえる」だって? それは正気の沙汰だろうか。もちろん正気の沙汰ではない。第一にそれは、物理法則に反しているのではないか。しかし、生命現象というものが科学で解明できていないゆえに、人の生死が物理法則に支配されているとも言えない。まことにこの「死」というものは、私たち人間にとって、いまだに未知の現象なのである。
 しかし、この本の著者というか、聖会の講師であるガジマ師が驚くべき見解を語る。すなわち、「死は、霊であり、追い出すことができる」と。これは、新しい知識だ。それは、「死が単なる物理現象ではない」という発見と、「霊」という存在に対する我々の認識の刷新とを同時に指し示しているのである。そして彼はさらに新しいことを言う。「魂は、霊とその住まいである肉体との合わさったところにある、両者の架け橋である」と。私の知る限り、このような見解を語った人はいない。そのような知識は、彼自身、一度死んでよみがえった経験があることに起因するのだろう。そればかりか、彼の教会では、実際に150人以上の人々が死からよみがえったと言うのである。そこでガジマ師は、私たちがまだ知らない何かを知っているのかも知れない。そして、それを知ったなら、私たちも死人をよみがえらせるようになると言うのだろうか。というのは、ガジマ師はこの本で、ほかでもない「死人をよみがえらせる方法」について論じているからである。つまり、彼はそれを私たちに、知識として伝えようとしているのである。
 しかし、果たして私たちは、死人をよみがえらせたいと思うだろうか。否、ほとんどの人は、それを願わないのではないだろうか。死人がよみがえるということは、恐ろしいことでもある。ガジマ師が死人をよみがえらせたのを見て、その場にいた人々は、みな逃げ去ってしまった。私たちは、できればそのようなことには関わりたくないと思う。自分がそのようなことができる能力を持ちたいようには思えるのだが、むしろそのことが招くかもしれないところの結果を思うと、恐れをなしてしまうのである。しかし、主イエスを愛する人々は言うだろう、「主よ、御心ならば成させ給え」と。彼らは、すべてを主の栄光のためだけに行う人々である。しかり、そのような人々だけが、ガジマ師の書いたことの意味を理解するであろう。そしてそれ以外の人にとっては、この本は、ただの眉唾か果てまた奇妙な現実を無責任に面白く書き綴ったものにしか思えないだろう。しかし、今この本をもう一度真面目に読んでみたいと思った。そこに、主イエスを畏れ、心から慕い求め、愛する心を感じたから。これは、今日のキリスト教会にもしかしたら欠けているものかもしれないと思えるから。

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