« 2010年4月30日 | トップページ | 2010年5月13日 »

2010/05/10

タランテュラどもについて

 ツアラトストラは、クリスチャンを「タランテュラども」と呼ぶ。「彼らの魂には、復讐がひそんでいる」と。彼らは、十字架という旗印を掲げ、「この平等への意志が徳を表示するための名称となるべきだ。そして、権力を持つ一切のものに敵対して、われわれは叫び声をあげよう」と堅く心に誓ったのだと彼は言う。まことにクリスチャンは、この旗印の元に、ときには国家権力に対して、あるいは資本家、思想家たちに対してさえ反旗を翻す。そのとき彼らの心にあるものは、実は復讐なのだとツアラトストラは言うのである。
 しかり、この復讐のためには、地獄の刑罰が用意されているのである。主イエスも言われる、「私は報いを携えて来る」と。しかし、彼らの説教は、普段はそのことを覆い隠している。丁度タランテュラが巣穴に身を潜めているように。しかし、ひとたびその巣が振動するとき、すなわちツアラトストラのような論客が口を開くとき、彼らは隠していた牙をあらわにして襲いかかるのである。
 かつて、神学は哲学に、そして自分自身をさえも敵にまわし、雄々しく戦った。しかし、いまその戦の残骸がタランテュラの巣穴のそばにそびえ立っている。その様相から、戦いが激しかったことが伺える。しかし、その決着はどうなったのかについては、誰も知らない。とにかく、それは終わり、過ぎ去り、そして残骸となって横たわっているのである。しかし、タランテュラは死んだのではない。それは、隠れているだけなのである。執拗な復讐心に燃えながら。それぞれの時代に応じて、自分をカモフラージュしながら。
 いまやツアラトストラでさえ、その変容ぶりの前には、めまいを催し始める。それほどに激しい闘争心を彼もほとんど経験したことがないから。そして、それがあの普段はおとなしそうに見える人々の心から噴出し来るということ、それが自分にさえ向けられ得るということが彼にめまいを催させるのである。そして、ツアラトストラは知っている。その闘争心こそが彼らの本質であり、普段のおとなしさこそが仮面だということを。それゆえに、ツアラトストラの心は揺れ動くのである。
 「そうだ、タランテュラは復讐をしたのだ。かくて、ああ!いまやタランテュラは、復讐によって、わたしの魂にさえも、めまいを起こさせるであろう!だが、わたしがめまいを起こさないように、わたしの友たちよ、わたしをここなるこの円柱に堅く縛りつけよ!わたしは、復讐心の渦巻きであるよりも、むしろ柱頭聖者でありたい!まことに、ツアラトストラは、吹き廻る旋風ではない。また、舞踏者ではあるが、断じてタランテュラ踊りの舞踏者ではないのだ!」このようにツアラトストラは語った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年4月30日 | トップページ | 2010年5月13日 »