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2010/02/20

三つの内なる貧しさについて

 「自分」という言葉は、ある意味で矛盾を抱えている。それには、「自分を認識している自分」という考えが含まれている。しかしそもそも、自分というものを厳密に認識し得るものだろうか。例えば、目はそれ自身を見ることができない。もし見ようとすれば、鏡が必要になる。そのように私たちは、自分を直接に認識するのではなく、外界からの反動として認識するのであり、かくして私たちの持っている自己認識の多くは、そのようにして得られたものであることを認めざるを得ない。しかし、だからと言って、私たちの周りの外界が文字どおりに存在するという証明も、また厳密には不可能なことである。
 しかし、デカルトが発見した「考えるという行為をしている我が存在することは疑い得ない」という事実から、外界がもし存在しなくても我は存在するのであり、この「根元的な我」をエックハルトは、「外界に依存する我」から区別する。この「根元的な我」は、彼によれば、実に神にも依存しない我である。なぜなら、私の知っている神は、外界に依存する私の認識によって得たものであり、その意味で外界に依存した神だからである。そこで、エックハルトによれば、我と外界、そして神は、一つの閉じた宇宙を形成する。これら三つはそれぞれ、どれが最初ということもなく、相互に依存した存在であり、一つが存在しないなら他の二つも存在の基礎を失うのである。この「外界に依存する我」は、「根源的な我」の同意なくしては存在しない。その意味で、「外界に依存する我」は、「根源的な我」の自由な意思決定により外へと歩み出て、自己の被造的有を受け入れたのであり、そのようにしてそこでひとりの神を持ったのである。エックハルトは言う、「なぜならば、被造物が存在する以前には、神はまだ神ではなく、むしろ神は、神があったところのもの、であったからである。被造物が生じ、その被造的有を受け入れたときに、神は、神自身においてではなく、被造物において、神となったのである」と。そこで、「根源的な我」、「外界に依存しない我」は、この閉じた宇宙の中にあるすべての被造物とそれを通して認識される神との存在原因なのである。
 しかし先に述べた、外界に依存することのない「根元的な我」に対しても、やはり神という存在が想定される。神は、外界の存在とは関わりなく存在するからである。これは、エックハルトの言う「神性」であり、神の根源的な本質である。この我と神の関係こそ、真に根源的なものであり、それは、被造物やそれを通して認識される神に依存しない関係である。この認識に立つ者は、自分の住む宇宙のはかなさを真に認識し、そこにおいて生きる目的をその世界の中で探し回ることはもはやしない。彼が見入っているのは、外界とは関係なく、自分に相対している「根源的な神」であり、エックハルトの言う「神性」である。エックハルトは語る、「ある偉大な師が、彼の突破は彼の流出よりも高貴であると言っているが、これはまことである。わたしが神から流れ出たとき、そこですべての事物は語ったのである。『神がある』と。しかしこのことはわたしを浄福にすることはできない。ここではわたしはわたしを被造物として認識するからである。しかし突破においては、わたしは、わたし自身の意志、神の意志および一切の被造物を超え、神でもなく、被造物でもなく、むしろ、わたしはわたしがあったところのものであり、今も、これからも絶えることなくありつづけるところのものである。この突破において、わたしは、すべての天使を超えた彼方へとわたしを連れてゆくひとつの飛翔を受けとる。この飛翔の内で、わたしは、神が神としてあるすべて、神的なわざのすべてをもってしてもわたしを満足させることができないほどの大きな豊かさを受けとるのである。なぜならば、この突破においては、わたしと神が一つであるということがわたしに与えられるからである」と。
 エックハルトの言う、この境地に入った人がはたしているだろうか。いるかも知れない。たぶんいるだろう。しかしもしいるなら、その人はいったいどういう人で、何を語るだろう。いや、彼は普通の人なのである。この境地には、人の認識を持ってしては入ることができないから。この境地に入った人は、そのことを自覚するだろう。しかし彼は、その知識を持って、彼の閉じた世界に再び帰還することはできないのである。しかしそれにも関らず、エックハルトはこの境地に入ることを追求することを教えるのであり、私たちもそれを追求すべきだと思うのである。そう、エックハルトの教える、熱心な祈りのなかで。

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