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2010/02/11

神との関係

 私が洗礼を受けたのは、大学3年のクリスマスであった。そのときは、日本キリスト教団の教会であった。いまから考えると、そこは、いわゆる福音派とはちょっと違っていたように思う。もちろん福音を信じて使徒信条を唱える教会だったのだが、そこで聞く「福音派」という言葉は、何かよそ者のような響きを持っていた。大学を卒業して、改革長老教会へ転会したが、そこもどうも福音派という感じではなかった。共通していたように思われるのは、神に栄光を帰すことに重点が置かれていたことだろうか。これは、カルバン主義の精神だと思う。そういうわけで、自分はどうも福音主義には、なじまないような気がする。もちろん聖書をそのまま信じているところは、福音主義そのものなのだが、なにか福音主義という言葉が気に入らない。自分がそう呼ばれたくないような気もする。その理由を考えてみると、どうも福音派独特の伝道の仕方が気に入らないのかも知れないと思えてきた。つまり、「イエス様はあなたを愛しています」というあの行である。「イエス様はあなたのために十字架につきました」、「あなたの罪は赦されました」。「それがどうしたんだ」とつい言いたくなる。福音書の中に一度でも、イエス様が、「あなたを愛しています」と言われたところがあるだろうか。それなのに、イエス様になり代わって、「イエス様はあなたを愛しているんです」なんて、おこがましいと思わないんだろうか。それではイエス様は、なんと言われたのか。イエス様はペテロに、「あなたは、わたしを愛するか」と言われたのではなかったのだろうか。イエス様は、人を愛するより人に愛されたいのだと思う。「わたしは、心のへりくだった者だから、私に学びなさい」とも言われたし。それに対して、旧約聖書の神はどうだろう。「わたしは、永遠の愛であなたを愛している」と言われている。旧約聖書の神こそ愛の神ではないだろうか。だから旧約聖書を読んでいると、本当に聖書を抱きしめたくなるほど、愛おしくなってくる。ここに現わされている神、これこそが愛である。「ああ神よ、あなたを愛します。そして、あなたの遣わされた御子イエスを愛します」という気になる。
 だから私は、自分の子どもにも、「イエス様は、あなたを愛しているんだよ」なんて言ったことは一度もない。返って「イエス様を愛しなさい」と言って育ててきた。「神を賛美しなさい」、「神を礼拝しなさい」と言って、朝6時に叩き起こし、泣かせてまで神を賛美させた。だから3人ともクリスチャンになった。でも福音派は、そんな育て方はしない。「イエス様はあなたを愛している」、「イエス様はあなたを待っている」、「あなたが教会に来るのを」、「あなたが自分で正しい選択をするのを」って。そして、牧師の子どもでさえ、信仰を継承しない。「はっきり言えよ」って言いたくなる。「神を礼拝しなければいけないんだ」って。神はこの宇宙を造られた全能のお方だから。無条件に、愛だなんだって言う必要なく、神を第一に礼拝するのは当たり前だよ。この一点をないがしろにしているから、福音主義はだめなんだ。
 まあ、あまり興奮するのは良くないから、これくらいにしておこう。そう言えば最近は、カリスマ、純福音もなんか元気がないような気がする。もしかして福音主義のまねをはじめたのかな。そういえば昨年行われた、プロテスタント宣教150周年記念行事では、ずいぶんと福音派に譲歩したように見えたっけ。でも奥山実が、カリスマ派の150周年行事で、「あれは予行演習でした」なんて口をすべらしたのは滑稽だった。でも「予行演習なんかするな」って言いたいよ。なんでそんなことする必要があるのか。自分の信じる通り生きればいいじゃないか。カリスマ派から独断をとったら何が残るんだろうか。そんな風に、みんな水増しされて、薄まっていってしまうのだろうか。イエス様が再び来られるときに、「生温いから、口から吐き出そう」なんて言われないようにしないとね。

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