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2010/02/10

神の言について

 「神はすべての事物の内にある」とエックハルトは言う。しかしそれは、本来的には、魂の最内奥を意味する。神はそこで何をしているのだろうか。彼によれば、「神はこの世界をそっくりそのままこの今において創造する」のである。「神が六千年あるいはそれ以前にこの世界をつくったとき創造したすべてのものを、今、神はいっさいがっさい創造するのである」と。
 神は、この世界を言葉により創造した。それゆえ、魂の最内奥には、常に神の言葉が語り出されている。そこでエックハルトが勧めるのは、まずそのことを覚ること、そしてそれをもって神の子として、この多様な世界の上に基礎づけられている状態にあって、あなたの努力を試みよということである。それは、あなたにとって有益なことを生み出すことである。それは、神のみ旨にかない、神に喜ばれるすべての良いことである。
 ここでエックハルトが言っていることがもし本当なら、私たち一人一人は、神の天地創造に関与しているのである。しかも神の独り子として。これがエックハルトの教える宇宙の構造である。すなわち、この宇宙はあなただけのために創造され、あなただけのために動いているということである。そしてあなたは、それを父なる神から相続するのである。それゆえ、あなたは神の独り子として、ただ一人あなたの住むこの宇宙を治めているのである。そのあなたの宇宙は、果たして他の人の住む宇宙と接点があるのだろうか。それは、きっとあるに違いない。まさにいまあなたが見ている通りに、あなたの宇宙は、他の人の宇宙とオーバーラップしていることだろう。しかし、それらは本質的には、別々の宇宙なのである。そればかりではない。あなたは、神と共通点を持っていない。あなたは神と完全に別の存在である。あなたは、神から創造され、そのあなたの内に神は御言葉を語り始められる。それにより、あなたの中で万物が創造され、あなたはそれらを知覚する。そのことにおいて神はあなたの内に臨在する。しかし神ご自身はあなたの中におられるのではない。神ご自身は、あなたの外におられるのである。そして、あなた以外の精神も、またあなたの外、すなわちあなたの宇宙の外にいるのである。このような互いに孤立した世界、物理的には何も通い合うもののない世界、そこに私たちはいるのである。それは、私たちの目に見えるありさまを見れば一目瞭然であろう。一人ひとりに独立した体が与えられ、その中に孤立した魂による孤立した精神が内包されており、人の心は互いに通じ合うこともなく、互いに相手の考えていることを知る方法はない。このような世界に生きていて、いったいなんの望みがあるというのだろうか。
 しかしエックハルトは語る、「そこにおいて、あなたの努力を試みよ」と。あなたが、あなた自身を捨てて、自己を無に帰するとき、主イエスが言われた、「一粒の麦が地に落ちて死んだとき」、そこに新しい可能性が始まるのである。それは、あなたの被造性が終わる時である。そして、あなたの被造性が終わるということは、あなたの孤立性もまた死ぬということである。あなたと神は、違う宇宙に住んでいながら、一つの存在となる。例えあなたの中に神がおられなくても、神があなたの宇宙の外におられたとしても、それは何の関係もない。その場所であなたは、神の独り子であり、あなたと神は一つなのである。同じように、あなたと他の人々も、同じ神の子なのであり、等しく愛し合う兄弟なのである。そのようにして、あなたは、真にこの世界に復帰するのである。
 エックハルトは語る、「第一は、あなたのものすべてを取り除き、そしてあなたを神に委ねよ、そうすれば、神が神自身のものであるように、神はあなたのものとなり、神がみずから自身にとって神であるように、神はあなたにとって神となる、けっしてこれより劣ることはないということである。わたしのものは、だれかからもらったわけでもない。だれかからもらったものであれば、わたしのものではない。それはくれた人のものである。あなたは頭をもたげよ、という第二の意味は、あなたのわざすべてを神へと向けよ、ということである。多くの人たちはこのことを理解できないでいる。しかしそのことはわたしには少しも不思議なことではない。なぜなら、このことを理解しようとする人は、一切の地上の事物から離脱し、それを高く超えていなければならないからである。わたしたちがこの完全性へと到るよう、神がわたしたちを助けてくださるように。アーメン」。

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