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2009/12/04

神に知られる刷新

像を介さぬ認識について

 私のエックハルト研究の目的をひとことで言えば、それは「信仰の刷新」である。古い利己的な自分の思いが神の前に打ち砕かれることにより、「わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い」と言われる神の思いとのギャップに気づき、その解消に向けて無条件に自分を変革すること、これが私の求める「信仰の刷新」である。そのためのインスピレーションをエックハルトは与えてくれるように思えるのだ。
 彼は言う、「あなたがたは、精神とも心とも呼ばれるあなたがたの霊において新たにされなければならない」と。しかし、彼が言うところの魂の領域としての「霊」とは、精神が「ここ」とか「今」といったすべての自然的なものから離脱した状態なのである。それがいかにして、魂のある領域たり得るのか。それは、魂の永遠性と関連するのだが、精神の成長において、意識すなわち心がどの段階にあろうとも、魂はそのすべての段階においてすでに存在しているのである。
 それでは、「霊において新たにされる」とは、いったいいかなることか。まず、「霊」というものを私たちが認識することは通常困難である。それは、私たちが見慣れたすべての自然的なものから独立しているからである。しかしそれでもそれは、ある状態、すなわち「在り方 」を持っているのであり、私たちの精神は、その存在を部分的には認識することも可能なのである。そのように「霊を見分ける賜物」を神は、ある人々に与えておられるのである。「霊において新たにされる」とは、このように一般的には未知の領域において刷新されることに他ならない。というのは、この領域において覚醒している人は、往々にして、その日常行動において、常識やときには品性を喪失したような行動を取ることがあるからである。霊的な領域が精神に与えるインパクトは、それほど強いものがあるのである。しかしまた、この霊的な領域を意識していない人においても、この領域からの影響を無視できるかと言うと、決してそのようなことはなく、自ら率先して扇動されるようなことはないにしても、実は同じように影響を受けており、しかもそれを意識していない分だけ、むしろ無防備になっているとも言えるのである。
 それゆえ私たちには、この「霊において新たにされる」ということが必要なのである。しかしそれは、霊的な領域に関する認識なしには不可能だろう。それでは、どうすればよいのか。エックハルトは言う、「あなたは、あなたの自己からすっかり離れ、神の自己に溶け入り、あなたの自己が神の自己の内で完全にひとつの自己となるようにしなければならない」と。これは、私たちが普通行っているような認識ではない。それは「認識する」というよりも、むしろ「思い込む」というほうが当たっているのかもしれない。しかも「神と共に」である。「神と共に思い込む」、それを正しく行うには、完全に自分を喪失しなければならないだろう。しかし何のために。神を偏見なく正しく愛するためである。神に対する偏見を無くすには、神の思いを自分の思いとすることが必要なのであり、その唯一の方法は、神の前に自分の理性を喪失することなのである。
 それでは、神の思いを知るために、自分の思いを喪失した私は、今度は神を愛するために、いったいどのようにしたらよいのだろうか。それは、たぶん想像が着くと思うのだが、自分の存在性を失うことなのである。というのは、エックハルトによれば「愛するかどうかは、一つになれるかどうかにかかっている」。そして、「一つになる」ことには、自己犠牲が伴うからである。つまり愛とは、その対象との合一であり、その際には自己犠牲を伴わざるを得ないのである。そして、私の愛の対象が神であるとき、そこにおける自己犠牲もまた最大級のものとなるのであり、それが純粋なものである限り、それは正に自己喪失と言えるものに他ならなくなる。そのように、私という存在は、非精神的なものにまで喪失されなくてはならないのである。というのは、神を愛するためには、私たちの知識も能力も邪念でしかなく、返ってじゃまになるからである。しかし、いったいどのように神をわたしたちは愛したらよいのであろう。エックハルトは語る、「それゆえにあなたの魂はすべての精神的なものを脱ぎすて非精神的でなくてはならないのである。あなたが神を神として、精神として、位格として、像として愛するならば、その一切は捨て去られなくてはならない。それではいったいわたしは神をどのように愛すればよいのだろうか。あなたは神を、ひとつの非神として、ひとつの非精神として、ひとつの非位格として、ひとつの非像として、さらに、一切の二元性から切り離されたひとつの純粋で澄み切った一なるものとして愛さなくてはならないのである。そして、この一なるもののうちで、わたしたちは有から無へと永遠に沈みゆかなければならないのである。そうなるように、神がわたしたちを助けてくださるように。アーメン」。

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