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2009/11/18

神に知られる知性

神が魂の内に子を生むということについて

 「神は、自身を自分自身から自分自身の内へと生み、そして自らを再び自らの内へと生む」とエックハルトは言う。謎に包まれた表現である。しかし、もし神が自身を生むということがあるならば、生まれたものは、御子以外にない。第二位格である御子は、生まれるということにおいて御子なのであり、それ以外は神ご自身に他ならないのである。そして、「自らを再び自らの内へと生む」とは、主イエスがマリアから生まれられたことを言っているのかもしれない。いずれにしても、聖霊の源泉は御子である。「父が子を生むとき、父がその本性において持っているものすべてを、子に与えるのである。この授けの内で聖霊が流れ出るのである」とエックハルトは言う。また彼は次のようにも言う。すなわち、「神はその子を常に生み続ける。この誕生の内ですべての事物が流れ出てくるのである」と。このように、この世界のすべては、「父が子を生む」という神の働きから発するのであり、「神はその際、すべての力を費やすほど、それほど大きな喜びをこの誕生に対して抱いているのである」。そして、そのことの目的は、「この誕生により、魂が命あるものになるため」なのである。
 人は、生まれながらには、死ぬべき存在なのであるが、この聖なる誕生の働きを知り、それが自分の内で実際に起こっていることを意識するとき、初めて命あるものとなるのである。しかしこの誕生は、エックハルトの言う「永遠の内の一なる今」におけるできごとなのである。この「一なる今」は、時間に決して触れることのない知性であり、それはつまり「信仰」と言えるかもしれない。信仰は、その人の置かれている状況と本質的には関係がなく、信仰によればすべてが可能だからである。信仰は、時間に決して触れることがない。神は、私たちの信仰の中で働かれるのである。聖書に「見えるものは、見えないものからできた」とあるのは、これらのことを言っているのである。神の偉大なご計画は、この世界においては、まず人の心に啓示され、それが実行に移され、ついに現実化するにいたる。神は同時に複数の人の心を動かして、それを実現されるのである。これは、時間の中における物理法則に沿った神の働きである。しかし一方で、自然法則に従わない場合もある。そのときには、神は特定の人の心に直接に語られる。そして、その言葉は、物理法則に優先する、つまり時間の外で働き、実現に至るのであり、これは奇跡と呼ばれ、本質的には、神がこの世界を創造したときの働きと同じなのだろう。
 主イエスは、女の死んだ息子に「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と語りかけられた。この「息子」とは「魂」のことだとエックハルトはいう。「神は、一切を神の子の内で語る。知性の内では人は余すところなく若い。知性の力の内で働くことが多ければ多いほど、人は自分の誕生に近づくのである」と。これは、意志や働きについてではなく、信仰のことを言っているのである。そして、この信仰という知性の場において、神と魂の合一が起こるのだと彼は言う。しかしそれは、人の業によるのではなく、恩寵の内で生起しなければならない。そして、恩寵はどんな業も成すことはない。「恩寵とはむしろ神の内に魂が住み込むこと、共に住まいすることなのであり、このことに比べれば、業と言われるものは、あまりにも価値が低すぎると言わざるを得ない」と彼は言う。そして、業から解放されたこの恩寵の中で、魂は神と共に豊かに生むもの、すなわち実を結ぶものとなるのだとエックハルトは言うのである。

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キーホルダー

Keyholder 旅行に行ったとき、つい手軽に買ってしまうのがこのキーホルダー。あちこちで買うもんだから、いくつ買ったかわからなくなってしまうことがある。そして、帰って来てからも、机の引き出しに入れっぱなしになっていることも多い。そういえば、あまり使いやすいのには出会ったことがなかったなー。これは、サンフランシスコで買ったものだ。

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