« 2009年11月11日 | トップページ | 2009年11月14日 »

2009/11/13

神に知られる誕生

神の言葉について

 「すべての被造物が神から外へと流れ出ながら、しかもその内にとどまりつづけるということはまったく不思議なことである」とエックハルトは言う。そのように私たちは、一方で神から流れ出ながら、また一方では、神の内に留まり続けているのである。それゆえ、私たちから神を見ると、神は私たちの内にありながら、同時に外にあることになる。私たちが神から流れ出るということにおいて、神は私たちの外にあるのだが、また一方で、私たちが神の内に留まり続けるということにおいて、神は私たちの内にあるのである。流れては消える時間の中に生きている私たちには、このことは理解し難い。しかしこれらは、永遠の世界の出来事なのである。そこでは、時間が過ぎ去るということはない。だから、私たちの流出、すなわち誕生が過ぎ去るということもなく、私たちは、永遠に神の子なのである。
 そこでは、神は私たちの内にあり、御言葉も私たちの内にある。しかし、それを知覚できるためには、私たちは、時間の流れから抜け出る必要がある。すなわち、「すべての事物に対して眠っている」必要があるのである。「そうすれば、あなたの内で神が働くものをあなたは知ることができる」とエックハルトは言う。神はそこで、いったい何をしているのだろうか。エックハルトによれば、神はそこで世界を創造しているのである。「過ぎ去ったものすべて、現に在るものすべて、未だ来らざるものすべて、それら一切を神は魂の最内奥で創造するのである」と。それゆえに、起こり来るすべての事柄は、神の御手の内にあり、神の配剤なのである。
 「どんな仕事にも励みなさい」(テモテ二4:2)と聖書は言う。それは、エックハルトによれば、「すべての事物の内で励みなさい」ということであり、それは、神の配剤の中では、難しいことではなく、返ってやさしいことなのだと彼は言う。「神はすべての事物の内にある」、そして「神は、あなたを神の独り子として、けっしてそれより劣ることのないものとして生むために人となったのである」。
 さて、私たちが神の独り子となるとは、どういうことなのだろうか。「御言葉を宣べ伝えなさい」とは、「これがあなたの内にあることを覚りなさい」という意味だとエックハルトは言う。預言者は、「ひとつのことを神は語り、ふたつのことをわたしは聞いた」と語っている。それは、「わたしは神とそれに被造物とを聞き分けた」という意味だという。「神は、すべての事物の内にある」。もし私たちが、この世界を生きながら、すべての事物の内におられる神を認識し、その御言葉を聞き分け、その配剤に信頼し、そのようにして、すべての事物の内で神をつかむなら、聖書の中に、「眠っていても、わたしの心は目覚めていました」(雅歌5:2)と言われている言葉が私たちの内に生起し、私たちは、ちょうど神の独り子がこの世に生まれたときと同じ状態、けっしてそれより劣ることのないものとなるのだ、そのために、神は人となったのだとエックハルトは言うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年11月11日 | トップページ | 2009年11月14日 »