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2009/09/19

神に知られる誕生

純然たる無である被造物について

 「エリザベスに時が満ちて、彼女はひとりの息子を生んだ。ヨハネというのが彼の名である。そのとき人々は語った。この子からは何か不思議なことが起きるのではないかと。彼には神の手が及んでいたからである。」(ルカ1:57、63、66)エックハルトがこの箇所を説教の冒頭で引用している意図は、このとき生まれたのが「イエス」ではなく、「ヨハネ」であったということの内にある。つまり主イエスが神の御子であるように、私たちもまた神の子なのである。聖書の別の箇所にはまた、「私たちは神の子であり、神がみずからの子を私たちの内に生むということが最も大きな賜物なのだ」(ヨハネの第一の手紙3:1のエックハルトによる解釈)と言われている。
 ところで魂は、神により創造されたのであって、神から生まれたのではない。神から生まれるのは御子以外にいない。主イエスが言われたように、私たちは、肉親としての両親から生まれたのだが、神の子とされるために、もう一度新しく(すなわち霊的に)生まれなければならないのである。エックハルトは言う「神の最高の意志は生むことである。神が神の子をわたしたちの内に生むまでは、神はけっして満足しない。魂もまた神の子が魂の内で生まれるまでは、決して満足することはない」と。神がご自身の御子を魂の内に生むことが私たちが霊的に生まれることなのである。すると魂の内には、魂自身と御子の二人が同居することになる。それこそが結婚の奥義であり、私たちは御子の花嫁となることによって神の一族すなわち神の子とされるのである。この婚姻に際して神は魂に、御子と共にご自身との姻戚関係すなわち恩寵を与えられ、さらに万物を相続させる約束を与えられ、その保証として聖霊を賜るのである。
 そのことが起こるのはいつかというと「時が満ちて」と言われている。「時が満ちる」とは、エックハルトによれば「時の内で人の心が永遠の内へと移される」ことである。それは、その人の心から時間性と身体性と多様性が消失することであり、私たちがすべてを捨て、自分の十字架を負い、そして主イエスに従って行く決心をするときそれが実現するのである。そのとき父なる神は、私たちの心に御子を誕生させられる。そしてそのとき、「父がその有と本性において持っているものすべてを、子に相続させるのである。この授けの内で聖霊が流れ出るのである」とエックハルトは言う。
 エックハルトによると、これらのことは、魂の諸力に対して起こるのではなく、魂の根元的な存在性すなわち「有」の内に起こる。つまり、「恩寵」がそこに現れるということこそがその本質なのである。これらのことを私たちは、個人個人の内における個々の現象として体験する。しかし、それを行われる神は一人のお方であり、私たちの心に生まれる神の子も一人の御子である。そして、それが神は一人であるということであり、三位一体ということなのである。このことを理解した人はまた、すべての被造物を純然たる無、すなわちただ一つの無として認識する。そのときその人は、その認識されたものすなわちすべのものを高く超え出ることになる。アウグスティヌスは言った「主よ、わたしがあなたに心を傾けるならば、わたしからすべての苦しみ、悩み、悲しみは取り除かれるのです」と。このときが時が満ちたときであり、そのときあなたの心に御子が誕生し、そのときあなたは、父なる神の子として誕生するのである。
 この誕生にはまた、霊的な覚醒が伴う。エックハルトは言う、「純粋にただ神以外、何も他に探し求めることのない人には、彼が神のみをただ直接に求めるかぎり、神はその神的心の内に秘めた一切を、それが神の所有物であると同じように、けっしてそれ以上でも以下でもなく、その人の所有となるように、その人に明かし、そして与えるのである」と。私たちが霊的に新しく生まれるとき、私たちは被造物を一つの純然たる無として見る。そのように私たちの前からすべての被造物が取り去られるとき、その結果として神的真理が私たちに開示されるのである。
 自分の中に神へと通じる通路のようなものがあると思っている人がいるかもしれないが、そのようなものはなく、私たちは神から完全に独立した個体である。神が私たちをご自身の超自然的な力で動かされると思っている人がいるかも知れないが、神はそのようなことをされない。なぜなら私たちは、御子と結ばれることにより神の子とされたからである。すでに神の子とされた者には、もはや神へ通じる通路も神からの超自然的な力も必要ない。それは、神からすでに彼に与えられたからである。神の恩寵がすでに彼に伴っているからであり、彼の内では、すべてのものが完成された形で備えられているのであり、それが「時が満ちた」ということなのである。
 エックハルトは祈る、「時が満ちたとき、そのとき恩寵が誕生したのである。すべての事物がわたしたちにあって完成され、神的恩寵がわたしたちの内で生まれるよう、神がわたしたちを助けてくださるように。アーメン」。

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