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2009/09/16

神に知られる力

神の根底にまで究めゆく力について

 私たちは、三位一体の神を信じている。その意味は、「父」、「御子」、「聖霊」が三つに区別されながらも一つである、つまり一性を持つということである。これに関してエックハルトは、「区別性は一性に由来する。この区別性とは三位一体における区別性である。一性は区別性である。そして区別性は一性である。区別性が大きければ大きいほど、一性もますます大きくなる。というのもこれはまさに区別なき区別性だからである」と言っている。ちょうど二人の人が個体としては異なっていながら、同じ人間であるように、父、御子、聖霊も三つでありながら、そのそれぞれが神なのであり、しかも三人の神ではなく、一人の神なのである。つまりキリスト教とは、神は一人だということである。だから、父、御子、聖霊がたとえ三つにはっきりと形態的にも場所的にも区別されるとしても、その各々が神であるならば、それらは一致しなければならない。神は一人しかいないのだから。そこで神の超越性は、この一性の中にこそあると言える。神は、信じる者の心に臨在される。それぞれ別々の場所にいるたくさんの信徒の心の中に個々別々に神が臨在される。それらは現象としては、複数の神以外の何物でもない。しかし神はただ一人である。そこで、複数の信徒の心に臨在される複数の神は、一人の神が同時にそれぞれの信徒の心に、超越的に臨在されているということになるのである。
 このことを理解した人は、また御子に関してエックハルトが、「神の独り子と魂との間にはいかなる区別もない」と言っていることの真の意味を理解するだろう。すなわち、外見も内容も異なる、父、御子、聖霊が同じ一人の神であることができるのと同じように、また外見も内容もまったく同じである人間とキリスト(エックハルトによれば)が、一方が被造物で一方が神であるということが可能なのである。そこでもし人が、神の独り子とひとつになって、その独り子であるように生きるならば、彼は神の心に適うものと成れるのである。というのは、エックハルトが言うように、「神の心に適うすべてのことは、神の独り子の内にあっても神の心に適う」からである。そこでエックハルトが言うように、「そのわざのすべてにおいて義なる努力をする人においては、その努力の着手は神であり、その遂行も神自身であり、純粋な神的本性であり、その努力の完結するのも神的本性の内、神自身の内において」となるのである。
 ここで「義なる努力」と言われているが、エックハルトによれば、「義」とは、「真理における一切の事物の原因」のことである。そこで彼は言う、「およそ何であっても認識しようとすることがらは、その原因において認識されなければならない」と。すべての事柄は、その原因において認識されなければならない。ものごとの本質は、原因にあるからである。しかし、時間というものにあっては、物事の本質は過去でも未来でもなく、現在にあるのである。現在は過去の一つの結果ではあるが、しかし過去に縛られることなく、それから完全に自由であると共に、過去の結果を修正し、未来をも支配する力を持っている。ものごとの本質は「今」というこの一瞬の中にあるのである。実に、この「今」という一瞬の内には、この宇宙のすべての可能性が存在している。なぜかと言うと、私たちの神は全能の神であり、すべてが可能だからである。それが神が全能であるということなのであり、エックハルトによれば、「神は世界を現在創造しているのであり、一切の事物はこの日においてはすべて等しく高貴なのである」。私たちは常に、この「今」という一瞬の中に生きているのであって、決して過ぎ去った過去やまだ見ぬ未来に生きているのではない。こここそが真に生きている活動的な時、エックハルトによれば「魂の今」である。精神がこの覚醒状態に達するとき、彼は天の運行に関与し始めるのであり、この天の最初の運行によって、日が生じるのである。このとき魂の今において日が生じる。この日の内には、時間というものがなく、そこでは魂は、永遠の思いをもって万物を認識する。しかし一方で彼は、時間が流れる世界に生きている。そこでは、すべてのものが空しく過ぎ去るが、彼はそこで永遠をひとつの人格と共に知覚することによりそこに立脚することを得る。これが神の日である。エックハルトは語る、「そのとき父はその独り子を現なる今において生み、そして魂は神の内で再び生まれることとなる」と。この誕生は、各瞬間において生起する。魂がこの世界を生きるときに、それはどうしても必要なものであり、それによって魂の内に命が通うようになる。そのとき正に魂は、神の御心に適うようになるのである。
 エックハルトは祈る、「わたしたちが自分を、知性の日と時とにおいて、知恵の日において、義の日において、そして淨福の日において、内面に見出すよう、父と子と聖霊が助けてくださるように。アーメン。

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