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2009/09/04

神に知られる受容

魂という神殿について

 私たちに与えられた主イエスの御名は、驚くべきものである。私たちは、どのような宗教によっても、哲学によっても、また近代科学によっても神を知ることはできない。しかし、主イエスの御名によれば、神を知ることができるのである。この主イエスの御名とは、「主イエスがどのようなお方か」ということである。私たちは、聖書を読むことにより、それについてある程度知ることができる。そしてその限定された、非常に具体的な史実に関する知識を通して、神は私たちの心に天国の扉を開かれるのである。というのは、神が主イエスを通して私たちにご自身を知らせられるのは、主イエスの道徳性や模範的な行為によるのではないからである。かつて行いを追い求めたパリサイ人たちは、主イエスに躓いた。また、理想社会を待ち望んでいた人たちは主イエスに失望した。しかし神が私たちにご自身を知らせられるのは、ナザレのイエスという一人の人を通してである。神がこの一人の人を選ばれて、救い主という御名を与えられたのである。もちろんキリストは、永遠の昔からおられ、天から地上に降られ、マリアから生まれられたのであるが、そのときナザレのイエスという一人の人の姿をとられたというのが上で述べたことの意味である。
 そこで、たとえ洗礼を受けて間もない人でも、その人が「イエス様」とこの御名を呼んで祈るなら、神はその人に主イエスを通してご自身を完全に知らせることがおできになるのである。というのは、主イエスを救い主と信じた者にとっては、その救い主がナザレのイエスという一人の人であったということ以外に知る必要のあることはないからである。もし私たちがこのことを正しく受け取るなら、その人に天国の扉が開かれるのである。
 しかし私たちが、主イエスを信じていても、神を満足に知ることができないということがもしあるのなら、それは私たちが何か他のことにより、神を知ろうとしているからに他ならない。例えば、道徳や倫理、哲学的な知識等々を信仰の中に持ち込んでいることがあるかもしれない。それは、神殿の中に鳩や金銭を持ち込んだあの商人たちのようであり、それらにより神と取引をしようとしているのだとエックハルトは言う。しかし、もしその人が、生まれ変わった罪人のように、素手で「主イエス様」と言って祈るなら、その人に神のすべてが開示されるのである。というのは、神に関する知識は、理論でも経験でもなく、信仰によるからである。すなわち、神がナザレのイエスという一人の人に御名を与えられたということを信じ、受け取ることである。そのためには、自分が生まれてからこれまでに獲得してきた知識や経験、教訓等々をすべて完全に捨てなければならない。自分の地位や現在の生活環境のすべてを無きに等しいものとしなければならない。そうしておいて、ナザレのイエスという一人の人を受け入れるのである。そして「イエス様」と呼びかけるのである。
 そのとき、この一人の人を通して、あなたの心に永遠から生きておられる栄光の主イエスが入って来られる。そして、あなたの全存在が沈黙する中で、栄光の主イエスが語り始められる。神を知るために、これ以外の方法はない。神はすべてのものを、主イエスを通してあなたに教え、また与えられるのである。
 そこで、あなたが神を知り、神からすべてのものを受け取れるかどうかは、主イエスの御名を信じるかどうかにかかっているのである。その意味であなたは、これまでよりも厚かましくならなけれならないかもしれない。神がすべてをあなたに与えると言われているのに、そのことを信じず、また受け取ろうと しないなら、あなたは不信仰とされるからである。またある部分では、これまでよりも謙遜にならなければならないということもある。すべての知識は、あなたが学ぶのでもなく、修得するのでもなく、主イエスを通して示され、あなたはそれを受け取るだけだからである。あなたが受けとる「すべてのもの」とはなにか。それは、まず、「主イエスの主権」である。これは、あなたが主イエスに完全に従うための力である。これを受け取ることができれば、そしてそれは、あなたが願えば与えられるのだが、これを受取るあなたは、また他のすべてのものを神から受け取ることができるのである。それゆえ、この主イエスの主権は、またあなたの内に宿り、あなたが神のために歩む人生の力となるのである。
 あなたが受けとる「すべてのもの」とは、次に「主イエスの知恵」である。これを受取るとき、「あなたの魂からあらゆる疑い、あらゆる迷い、あらゆる闇が完全に取り除かれ、『主よ、あなたの光に、わたしたちは光を見る』と預言者が語るように、神自身である一つの純粋で透明な光のうちに魂は移される。神が魂のうちで神をもって認識されるのである」とエックハルトは言う。最後に、あなたが受けとるのは、「主イエスの甘美さと豊かさ」であり、これによりあなたの魂は、すべてにおいて満ち足り、「変わらぬ平和のうちで、常に神に仕える者とされる」のである。
 エックハルトは祈る、「どうかイエスがわたしたちのうちにもおとずれ、すべての障害を追い出し、取り去り、主が父と聖霊と一なるものとして、一なる神であるように、わたしたちを一なるものとし、わたしたちが主と一になり、永遠に変わることのないよう、神がわたしたちを助けてくださるように。アーメン」。

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