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2009/08/04

アメンボー

Amembo この虫は、水の上を歩く。細い針のような足で、水の上にふわっと浮かぶ。沈むことなど、生まれてから考えたこともない。「細い足は、浮くんだよ。」「でも、どうして?」「知らないの?水は細いのがきらいなのさ。」「じゃあきみも水がきらいなの?」「僕は、大好きさ。だから、歩けるんだよ。」

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神に仕える本質

三つの内なる貧しさについて
 エックハルトと仏教の関係が云々されることがある。それは私の見たところでは、仏教の「無」の概念との共通性についてであるようだ。そして、いまここで取り上げている説教は、特にその色合いが濃いように思える。
 それにしても人は、どうして仏教的な「無」の概念に引かれるのだろか。しかもそれは、日本人だけでなく、欧米人においてもその傾向が見られるようなのだ。それは私には、宗教的な制圧概念への反動のように思える。特にキリスト教の神の持つ制圧概念は、とても強いように思う。イスラエル民族は、彼らの長い歴史を通してそれに耐えてきた。キリスト教の神は、「妬む神」であり、また「義の神」でもある。私たちは、キリスト教の中にいる限り、この神の制圧から逃れることはできない。しかしこの制圧は、キリスト教に限定されたものではなく、カルト宗教はもちろん、イスラム教や神道のような伝統的な宗教にもそれはある。しかしなぜ仏教にはないのか。それは、それがまさに「無」、神不在の宗教だからだ。それゆえにまた救いもない。そこにあるのは、仏と解脱、涅槃なのである。そして、この辺がエックハルトと共感するように見えるのだろう。
 これまで述べたことから自然に推測され得ることは、「宗教的制圧の原因は、神の存在にある」ということである。そして、このことに気づいてしまった者は、神との関係を再構築することを考えざるを得なくなる。しかしそれは、人間関係の再構築のようにイーブンなものではなく、変わるのは、あくまで人間の方なのである。
 エックハルトは、この神との関係の再構築を3つの形態で示す。まず最初は、人が「神のために何も意志しない」ことである。人が神に従うのは、絶対の服従からであるべきであり、そこにはもはや、彼の判断や意志が入り込む余地はないのである。そのとき彼は一見神の奴隷の様でもあるが、それにより彼の意志は、神の制圧からは完全に解放されているのである。
 第2には、人が「神のために何も知ろうとしない」ことである。もし彼が何かを知ることがあるなら、それは神から与えられたものであり、彼が捜し当てたものではないのである。なぜなら人は、良いもの以外を知ってはならないのであり、良いものはすべて光の父から下ってくるからである。そのような人は、一見井の中の蛙の様でもあるが、彼は自分に必要なことをすべて知っているし、知るべきでないことからは、完全に守られているのであり、その知るべきでないことを知ってしまうことがいかに大きな損失でしかないかということをまさに彼は知っているのである。
 第3に、人が「神のために何も持とうとしない」ことである。もし彼が何かを持っているとしても、それは神のためではあり得ない。なぜなら、神は全能であり、人から何かを借りる必要などないからであり、また人が何かを神に提供するならば、それは神の邪魔をすることになるからである。そのような人は、一見貧乏の様でもあるが、彼に必要なものをすべて持っているのである。
 このように、「神のために何も意志せず」、「神のために何も知ろうとせず」、「神のために何も持とうとしない」人こそが主イエスが言われた幸いな人だとエックハルトは言うのである。そのような人は、もしそれが彼の意志でなかったならば、世界一不自由な人であろう。しかし、もしそれが彼の意志ならば、世界一自由な人である。というのは、彼にはもはや神の制圧を感じることがないからである。彼が神に従うのは、彼の心であれこれ考えた理由や作りだした方法ではない。彼は、理由なしに神に従うのであり、彼が神に従う理由は、神の存在ではないのである。それでは、何がその理由なのか。それは「彼の存在」、もっと正確に言えば「神から造られた彼自身の存在」である。というのは、神がいかに壮大な意志と計画を持っていたとしても、重要なのは、そのような知識よりも、彼自身が神からどのような役割を与えられているかということだからである。つまり、人が神に造られた彼本来の人生を歩もうと意志するとき、彼は神について知る必要はないのである。それでは、彼は何を知る必要があるのか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」(ローマ10:8)とある通り、私たちは今この手にそれを握っており、これを学び、これを行うことこそが私たちの成すべきことなのである。

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