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2009/07/24

神に仕える方向性

神の言について
 聖書によれば、この世界は神の言葉により創造された。神の言葉は、神から流れ出、同時に神の内に留まり続けている。そして、エックハルトによれば、すべての被造物も神から流れ出ながら、同時に神の内に留まり続けているという。それは、それらが神の言葉により創造されたからであり、またそれは、永遠の世界における出来事なのである。つまり、この世界の目に見えるものは、霊的な目に見えない世界から出てきたのであり、そこは永遠の世界なのである。それゆえそこでは、すべてが現在であり、物事が過ぎ去ることもない。そこでは、永遠に御子が誕生し続け、この誕生が終わることはない。神は父として御子を生み続け、万物は創造され続け、12人の長老たちは、神の御座の前に彼らの王冠を投げ出し続ける。そのような世界は、いったいどこにあるのだろうか。壮大な銀河の果てだろうか。しかしエックハルトによれば、それは私たちの魂の最内奥にあるのである。このようなことから、私たちがこの世界において完全性を追求する方向性は、2通りあることになる。すなわち、すべての被造物から遠ざかり、自分の内に堅く閉じこもることと、もう一つは、すべての被造物の中に神を見い出すことである。
 自分の内にしっかりと閉じこもるのは、ただ神のみに目を向け、心を開くためである。それは、永遠の世界における経験であリ、それにはこの世においては永遠の時が必要となる。つまりエックハルトが言うように、「人がしっかりと眠りについていて、百年間も眠っているならば、その人は被造物についても時間についても、像についても知ることはない。そしてそのときに、あなたの内で神が働くものをあなたは知ることができるのである」。
 そして、この世界において完全性を追求するもう一つの方向は、「すべての事物の内で神を捉える」ということであるが、それは、手当たり次第に物事を探求し、その中に神を探せということではなく、文字どおり「すべての事物の内で」ということである。つまり、「すべての事物の内に同時に神を見い出す」ということである。それは、神がすべての事物の内に同時に存在されるお方だからであり、等しさそのものであるからであり、そのような認識を通して、神の心をつかむことである。エックハルトは語る、「わたしは昨日あるところですわっていたが、そのとき、天にましますわれらの父よ(パーターノステル)の中に載っているひとつの言葉を話して聞かせた。それは、『あなたの意志があらわれますように』というものであった。しかし、『意志があなたのものとなりますように』という方がもっと良いであろう。つまり、わたしの意志が神の意志になるように、わたしが神になるようにということがパーターノステルの意味するものである」と。
 「すべての事物の内で励みなさい」という言葉のもう一つの意味は、「すべての事物の内であなたに有益なものを生み出しなさい」という意味である。つまり、すべての事物の中で神を見出すと共に、あなた自身も有益なことをしなさい、すなわち、「神を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」ということである。すなわち、聖書に書かれていることを文字通り、全力を尽くして実行しなさいということなのである。私たちに必要なものは、すべて与えられている。それは、聖書の中にすべて記されているのであり、その聖書は、いまあなたの手の中にあるのである。この聖書には、永遠の世界のことと、この時間の中の世界のことが書かれており、それが見事に調和しており、この永遠の言葉は、今も父の内から流れ出ながら、父の内に永遠に留まっているのである。そして、この聖書を読んでそれを実行する私たちも、御子と共に父の内に留まり、そこから流れ出て、この世界に遣わされているのである。

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