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2009/07/23

神に仕える調和

捨て去るということの意味について
 この世界にあっては、一般的に個と全体は、調和することが困難なことが多い。個々の人が自分の好むことを行えば、集団全体が混乱してしまうことにもなり得るし、また反対に、集団全体のことを優先すれば、個々の人間が疎外される危険が生ずるのである。しかし信仰にあっては、かなり状況が異っている。主イエスは、「あるものをわたしのために、わたしの名のために捨てる者には・・・」と言われる。しかしそれは、全体のために個が犠牲になるということではない。というのは、その後で彼はまた、「その百倍を返し与え、さらに永遠の命をつけ加える」と言われるからであり、そのように個と全体は調和しているのである。さらに、神を愛するとは。神の掟を守ることだと使徒ヨハネは言う。掟は、神の義から発する。そして神にあっては、愛と義とは矛盾せず、主イエスの十字架において見事に調和しているのである。
 それにしても具体的にそれらのことは、どのように機能するのだろうか。その秘密は、神と人の間の「父と子の関係」にある。それは、個と全体の関係であると共に、また1対1の関係でもある。そしてそれはまた、生む者と生まれる者との関係である。そして、あなたが自然の働きを思い浮かべれば分かることだが、生む者は自分の姿を生むのである。そこで、父と子の関係を純粋に「関係」として見た場合、それは自分に対する自分の関係と同じになる。ただ違っているのは、父と子が別々の個体であることである。この「個=全体」という構図は、個々の個体ごとに真理なのであり、それゆえに全体が見事に調和するのである。しかしこの調和は、ある理想的な関係を前提として成り立つということに注意する必要がある。その理想的な関係とは、「純粋な信仰」ということである。すなわち、主イエスが「私のためにすべてを捨てる者は・・・」と言われた「愛」の関係である。この新しい関係は、私を被造物への執着から開放する。そしてそこに残されるのは、私の中にある父の像である。そこに父は、神の独り子を生む。それにより、私と父なる神との間に、「父と子の関係」が生まれる。それは、「生む者と生まれる者との関係」であり、その関係によって私は、父の独り子とされるのであり、そのようにして、個々の個体がそれぞれに父の独り子とされるのである。それゆえに父なる神は、すべての人の心の中に住まうことができるのである。エックハルトは語る、『「われ」という言葉は、その一性における神だけに固有な言葉である。「汝ら」という言葉は、「一性の内で汝らは一つである」という意味である。「われ」と「汝ら」、この言葉は一性を指し示している。私たちがまさにこの一性でありますよう、またこの一性を保てますよう、神がわたしたちを助けてくださるように。アーメン』。

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