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2009/06/11

永遠の関係

ネヘミヤ記 第9章
 祝いの時が終わり、その月の24日にイスラエルの人々は集まって断食し、粗布をまとい、土をその身に振りかけた。それは、永い永い懺悔の時であった。喜びと懺悔、それらはいかにして調和するのか。彼らは、1日の内6時間を律法の書を朗読して過ごし、6時間を彼らの神の前に罪を告白し、ひれ伏していた。
 レビ人たちは、台の上に立って賛美し、彼らの神が行われた、アブラハムにおけるくすしき選び、大いなる出エジプトにおける奇跡、荒野におけるマナの恵み、約束の地の強奪における助け、士師たちによる裁き、預言者による諭し等々を一つ一つ思い出し、神の栄光を誉め称えた。また、彼らは同時に、荒野における彼らの不従順、諸王たちへの不忠実、預言者たちへの虐待等々の彼らの罪を言い表し、神の前にひれ伏して、その身に土をかぶった。この世の人にとって、このような懺悔の行為は、敗北と屈辱でしかない。しかし、選ばれた民イスラエルにとっては、それは、同時に大いなる喜びの時なのである。これは、世の人には決して理解できないことである。それは、民の不従順よっても、数知れぬ裏切りによっても、彼らの神の真実と誠実は、変わることがなかったからである。彼らが彼らの神の前にひざまづき、懺悔し、土をかぶることは、彼らの神の愛をその全身で味わうことに他ならない。彼らが神の前に自分の罪を告白し、ひれ伏すことは、彼らと神との深い、永遠に変わらない愛の関係を告白し、それを確かなものとすることに他ならないのである。なぜなら、彼らは選ばれた民だからである。
 彼らは、自分が告白している罪のすべてを自ら犯したのではない。また、彼らが賛美している神の奇跡の多くは、彼らの先祖が体験し、それが代々口づてに伝えられてきたものである。しかし彼らは、あたかもそれを自分自身で見たように告白した。罪についても同様である。彼らは、自分たちが犯したのでもない、彼らの先祖たちが犯した罪を自分の罪として告白したのであった。なぜなら、彼らは、選ばれた民イスラエルだからである。
 ああ、私たちも彼らの信仰に連なろうとするのなら、彼らのように、信仰の先陣たちが見た神の栄光をさながら自分が見たかのように信じ、証ししなければならない。また、信仰の先陣たちが犯した罪を自分の犯した罪として、神の前に告白し、悔い改めなければならない。そのようにして、私たちは、神に選ばれた民となるのである。そのようにして、私たちは、真に主イエス・キリストの弟子となるのである。なぜなら、それは、私たちと私たちの神との切ることのできない関係、永遠の愛の関係を証しすることだからである。そしてそのとき、私たちは、神とはどういうお方かを本当に知るのである。

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