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2009/05/29

結論として

 これまで、新改訳聖書について、実際に様々な箇所を引用しながら、その翻訳内容について考察してきた。しかし、それらはほんの一例に過ぎない。このような作業を徹底して行えば、おそらくこの何十倍もの箇所が抽出されてくることだろう。これらから言えることは、私は決して新改訳聖書の翻訳内容、翻訳方針に同意できないということである。百歩譲っても、これは決して、独りで読むのにふさわしいものではない。
 しかし、新改訳聖書は、今も福音派、カリスマ派の多くの教会で愛用されている。そして、彼らも実に善良な主の民である。問題は、どこにあるのかと言えば、新改訳聖書刊行の歴史にあるようなのである。同刊行会のホームページにそれが載っているが、それによると、背景に宗派間の対立が色濃く存在している。対立そのものは、ある意味では必然的なものかもしれないが、問題は宗派間の会話までが遮断されてしまったことにある。これにより、新改訳聖書は、他の訳の聖書から孤立してしまい、発展が止まってしまったのである。そして、もともとの人材不足もあり、いまだに突貫工事の痕跡が随所に残されたままになっていると思えるのである。そして、さらに不幸なのは、このトランスペアレントな訳から、一般信徒が聖書の文脈を読み取ることは、非常に困難だということである。それが何を意味するかというと、福音派信徒は、実質的にデボーションができない状態にあるということである。そこで、証しもできない。彼らには(私も福音派信徒だから「私たちには」と言おうか)、聖書の言葉から、そこに記されている、例えばダビデやヨナタンの雄姿に日々啓発されて、自分の人生を生きるとか、自分の経験した困難を神の恵みと導きにより克服した証しと聖書のエピソードを対比しながら神の栄光を証しするというようなことは、到底できない芸当なのである。だから彼らは、日々聖書を読んでいても、語る言葉は、福音の箇条書きでしかないのである。これは、これまで私にとって大きな謎であったが、やっと理解できたように思う。新改訳聖書の翻訳方針により、そのようにされてしまったのである。それはちょうど、日本が敗戦によるアメリカ占領下の「Yes/No教育」により、思考が骨抜きにされてしまったようなもの。あるいは、もっと皮肉っぽく言えば、エホバの証人が新世界訳聖書(新改訳とはひらがなで一字違いである)を訳出して孤立し、その信徒が盲目にされてしまったのと似ているのである。そして、この状況は、宗派間の対立であるゆえに、容易に払拭できない。というのは、福音派、ペンテコステ派は、新改訳以外の聖書を決して手に取ろうとしないし、リベラル派にとっては、新改訳は、「そういうことを論じる気も起こらない」(リベラル神学者田川建三)ほどおろかな訳だからである。
 話は少しそれたかもしれないが、日本の聖書翻訳事業は、このように不幸な歴史を持つようなのだが、その影響は、一人一人の信徒の信仰生活とも無関係ではない。宗派対立や神学論争が反映した牧会に嫌気をさして、教会を後にした有能な信徒を何人も見てきたからである。彼らの中には、教会、教派間の移動のみならず、信仰を捨てた者さえいる。比較的最近になって、福音派とカリスマ派の対話や協働も行われるようになったようではあるが、リベラル派は、これらの人々から依然として蔑視されているように見える。しかし、信徒はそれを理解する由もない。その点、ある意味で信徒の方に可能性が残されているとも言えよう。
 私が切に望むことは、新改訳聖書刊行会が神の前に遜り、リベラル派との会話の道を自ら拓くことである。おそらく、懐の広いリベラル派は、諸手を上げてこれを歓迎するだろう。そして、日本民族の救霊における大いなる進展がもたらされることだろう。このブログでは、私の所属する福音派にとどまらず、カリスマ派、リベラル派、そして神秘主義に関わる内容までを包含しているが、上記のような願いを込めてのことなのである。

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7つの御霊

 聖書の中で「御霊」と言ったら、聖霊のことを表すに違いない。しかし新改訳では、これを様々な場所に使っている。「聖霊」という言葉を使っている場所(マタイ3:11)もあるので、「御霊」=「聖霊」との解釈でも無いようなのだが、どうも釈然としない。神が人を創造するとき、その中に吹き込まれるのは聖霊ではなく、人の霊(もちろん神様が造られたという意味では神の霊でもあろうが。創世記には、「いのちの息」という表現もある)であろう。聖霊は、人が主イエスを信じたときに与えられるものである。黙示録に至っては、「七つの御霊」という表現が非常に気になる。聖霊が七つあるとは、これはいったい、どういう神学なのだろうか。

詩篇
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(新改訳聖書)
詩篇104:30
 あなたが御霊を送られると、彼らは造られます。また、あなたは地の面を新しくされます。
マタイ 3:11
 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
マタイ 3:16
 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
黙示録1: 4
 ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。常にいまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、
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(新共同訳)
詩篇104:30
 あなたは御自分の息を送って彼らを創造し地の面を新たにされる。
マタイ3:11
 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
マタイ3:16
 イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
黙示録1:4
 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、

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