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2009/05/27

説教19 三つの闇について

 主イエスは、弟子たちに教えるために高い山に登られた。今日においては、高く昇るものと言えばロケットである。それは、垂直に打ち上げられ、高く高く上り、ついに大気圏外にまで達する。するとそこにあるのは「闇」である。もちろんそこにも、太陽の光が燦々と降り注いでいる。しかしそこにあるのは闇なのである。というのは、近くには照らされるべきものがないからである。それゆえに、大気圏外にまで上った人を包むものは「闇」なのである。
 精神の世界においてもこれと同じことが起こる。世俗から目を転じて、神の高みにまで思いを馳せる人を包むものは「闇」なのである。というのも、そこには、神とその人以外にはいないからである。神の光に照らされるべきものが他に存在しないのである。それでは、すべての被造物はどこにあるのだろうか。それらは、神とあなたの内に刻印されているのである。しかしエックハルトは、さらに「最良の闇」があると言う。その闇の内には、魂を照らす光さえも存在しない。「そのように魂もまたこの闇の中では一切の光を失うのである。魂は、熱とか色とか名づけられるような一切を超え出るのである」と。
 いったい誰がこのような闇に耐えることができるのだろうか。それは、この世界のすべての被造物と自分自身とに完全に失望した人である。その人は、もはやどのような被造物をも求めないゆえに、それらを照らす光もまた必要ないのである。そしてまた彼は、自分自身をも求めることがないゆえに、自分を照らす光もまた無いのである。つまりある意味で私は、そこにはいないのである。それでは、どこにいるのか。私はそこでは、神の独り子の内に刻印されているのである。そして、そこですべての被造物を認識する。神の独り子の内において。神が御子のために創造され、御子すなわち長子を通して私が神から相続したものとして認識するのである。私はそこから、すなわち神の独り子の内に刻印されている状態から、時間の中に落ち、天使を通過して、この地上に降り来たったのであり、すべての被造物もまたそうなのである。

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