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2009/05/11

不自然な論法

 新改訳聖書において、とても気になるのは、その不自然な論法である。これは、いたるところに見受けられるので、いちいち列挙するのがいやになるほどである。ここに列挙するのは、そのほんの一部であり、「・・・からである。」に終わる一連の文章である。これらは本来、前後二つの文からなり、後の文は、前の文の説明になっているはずであるが、文脈からは、そのようには受け取れない。新改訳に対して、対応する新共同訳の節を読んでみればこれが実感されるだろう。
 これはたぶん、新改訳の翻訳規則なのだろう。文脈を読まずに、ただ半機械的に訳すことが良しとされているのだと思う。これによると、(23:21)に見られるように、「彼らがアタルヤを剣で殺したこと」自体が町が平穏になった理由となってしまい、これはいかにも不自然である。

第二歴代誌
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(新改訳)
(1:3) ソロモンおよび彼とともにいた全集団はギブオンにある高き所に行った。そこには、主のしもべモーセが荒野で造った神の会見の天幕があったからである。
(1:4) しかし、神の箱については、ダビデはこれをキルヤテ・エアリムから、ダビデがそのために定めておいた場所に運び上らせた。箱のために天幕をエルサレムに張っておいたからである。
(7:9) 彼らは第八日目にきよめの集会を開いた。七日間、祭壇の奉献を行ない、七日間、祭りを行なったからである。
(14:6) 彼はユダに防備の町々を築いた。当時数年の間、その地は平安を保ち、主が彼に安息を与えられたので、彼に戦いをいどむ者はなかったからである。
(14:14) さらに、彼らはゲラル周辺のすべての町々を攻め打った。主の恐れが彼らに臨んだからである。そこで、彼らはすべての町々をかすめ奪った。その中には多くの獲物があったからである。
(21:6) 彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻であったからである
(23:21) 一般の人々はみな喜び、この町は平穏であった。彼らはアタルヤを剣にかけて殺したからである。
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(新共同訳)
(1:3) 全会衆と共にギブオンにある聖なる高台に行った。そこには、かつて荒れ野で主の僕モーセが造った神の臨在の幕屋があった。
(1:4) ただし神の箱は、既にダビデがキルヤト・エアリムからエルサレムに幕屋を張って備えた場所に移してあった。
(7:9) 彼らは七日間、祭壇の奉献を行い、七日間、祭りを行って、八日目に聖なる集まりを開いた。
(14:6) 主が安らぎを与えられたので、その時代この地は平穏で戦争がなかった。そこで彼は、ユダに砦の町を次々と築いた。
(14:14) 彼らは家畜の群れの天幕も打ち払い、多くの羊とらくだを捕獲して、エルサレムに帰った。
(21:6) 彼はアハブの娘を妻としていたので、アハブの家が行ったように、イスラエルの王たちの道を歩み、主の目に悪とされることを行った。
(23:21)こうして、国の民は皆喜び祝った。アタルヤが剣で殺された後、町は平穏であった。

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戦いの意味

サムエル記第一 第13、14章
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(新改訳)
(13:11) 「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。
(13:12) 今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」
(14:6) 「さあ、あの割礼を受けていない者どもの先陣のところへ渡って行こう。たぶん、主がわれわれに味方してくださるであろう。大人数によるのであっても、少人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない。」
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(新共同訳)
(13:11) 「兵士がわたしから離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来てくださらない。しかも、ペリシテ軍はミクマスに結集しているのです。
(13:12) ペリシテ軍がギルガルのわたしに向かって攻め下ろうとしている。それなのに、わたしはまだ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物をささげました。」
(14:6) 「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない。」

 新改訳聖書は「トランスペアレントな訳」を旨としているとのことである。そして、これを一人で読むことは、聖書的でないと新改訳聖書刊行会は、そのホームページで言っている。そんなことを誰がどうやって考え出したのか。そのような論文があり、それを提唱しているとのことであるが、訳者全員がそれを理解しているのだろうか。少なくとも、新改訳聖書を用いている牧師の多くは、刊行会のホームページにおけるそのような主旨の記述があることさえ知らないようだ。
 それにしても、上の2つの訳の違いはどうだろう。新改訳聖書の訳は、支離滅裂でよほど丹念に、何度も読み返さないと聖書の語っていることが理解できないのではないだろうか。14:6節はどうだろう。「たぶん、主がわれわれに味方してくださるであろう」(新改訳)。まったく、涙が出てくるほどの不信仰ではないだろうか。このような表現からは、だれも信仰を奮い立たせられることはない。これを語っているヨナタンは、そのような人ではないし、聖書は、そのように教えてもいない。これらは、悪魔の意図なのである。

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深刻さが足りない

サムエル記第一 第8章
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(新改訳)
(10) そこでサムエルは、彼に王を求めるこの民に、主のことばを残らず話した。
(11) そして言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。
(12) 自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる。
(17) あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがたは王の奴隷となる。
(18) その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。
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(新共同訳)
(10)サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。
(11)彼はこう告げた。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、
(12)千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。
(17)また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。
(18)その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」

 なんという子供のような文章だろうか、新改訳聖書は。10節は、事の切実性が感じられない。11節などは、普通に読んでも意味が通らない。12節は表現がくどい。17節の「あなたがたは王の奴隷となる」は、これまで説明してきたこと全体を一言で言い換えているのに、新改訳はこれを理解していない。新共同訳は、これを良く説明している。18節は、民がサムエルに王を求めたことの結果、すなわちこれまでサムエルがここで説明してきたことの結果、彼らは泣き叫ぶようになり、そして、それに対して神はお応えにならないということが、新改訳の訳では、深刻に伝わって来ない。新共同訳の訳では、これが適切に伝わってくると思う。

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