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2009/04/21

説教10 一なる神について

 エックハルトは、この説教の中で、聖書から2つの言葉を引用する。「一なる神にしてすべてのものの父」(エペソ4:6)と「友よ、もっと上に進みなさい」(ルカ14:10)である。彼は、この二つは、神と魂との間にかわされている対話であると言う。全神性の一なる父がその愛する子としての魂に対して、愛の言葉、友情の声を掛けて、ご自身の元へと招いているのである。そのように、神と魂の間柄は、麗しい愛の関係なのである。しかしその際、神は魂に対して、自ら手を差し伸べられることはない。魂を神へ合一させるための、いかなる直接的な手段も存在しないのである。魂を神の元へと帰りもたらすのは、神の恩寵なのであるが、恩寵自身は、何の働きもしない。それは、魂の内へと一切の誉れを注ぎこむだけである。つまり、魂を神と合一させるのは恩寵ではなく、むしろ恩寵とは、ある完全なもたらしであり、そのとき魂には花によって結ばれた実、すなわち浄福が分かち与えられるのである。つまり神は、言わば魂をご自身と対等なる存在として、またご自身にふさわしい愛の対象として取り扱われるのである。
 神は、「一なる神」としてご自身を啓示し、愛する魂に「友よ、もっと上に進みなさい」と声を掛けられる。魂は、「一なる神」という言葉を聞く。そして、まさにそのことこそが魂にとっての浄福であり、そのことが魂の誇りであり誉れなのである。エックハルトは語る、「神は魂に気に入られるようにと、ただそれだけのために一であるのだといわんばかりにふるまい、魂を神だけに夢中にさせようと言わんばかりに、神は身を飾るのである」と。
 神は、魂にご自身を花婿として啓示された。主イエス・キリストこそ、私たちの魂の花婿なのである。花婿は花嫁を自分と対等の者として迎える。しかし、花婿は花嫁を幸福にするためのあらゆる力、栄光、尊厳を身につけて花嫁のところに来るのである。
 エックハルトは語る、「ある師は、神はそのすべてのわざの内で、一切の事物からけっして目を離すことはないと語る。一切の事物とは魂のことである。魂より下位のすべての事物の内で、最も高貴なるもの、最も純粋なるもの、最も高きもの、それを神は同時に魂の内へと注ぎ込むのである。神はすべてでありそして一である。わたしたちがこのように神と一なるものになるよう、わたしたちを『一なる神にしてすべてのものの父』が助けて下さるように。アーメン」。

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