第13章 霊を見分ける賜物
「霊を見分ける力は、人を攻撃したり、ある状況に関係している霊について、神様からの考え、思いの中に来る印象、幻、聖霊の直接の聞こえる声である」とビル・サブリツキーは説明する。この力は、神から与えられる秘密兵器であり、私たちの敵である悪魔の要塞を打ち砕く力をもつ。悪魔の武器は、人をだまし、それによって人を縛り、傷つけ、神の恵みから離れさせることだからであり、この力は、そのような悪魔のたくらみを見破り、それを根底から破壊することができるのである。この「見破る」とか「見分ける」ということが重要な訳は、人が悪魔に騙されている限り、その人の意志が曲げられており、彼自身の意志によって神の御心から離れているからであり、それが彼の意志である限りにおいて、聖霊は、彼に更生を強いることをなされないからである。
それゆえに、神は私たちにこの務めを託され、霊を見分ける力を与えておられるのである。そのために神は、この力を賜物として私たちに与えられ、それは、諸霊に反応して私たちの心の中に、ある落ち着かない感覚を引き起こす。それは、悪霊特有のものであり、それと共に神は、それらの霊に関する知識と対決方法をも示されるのである。
この賜物を用いるためには、一つのことが要求される。それは、身と心を清く保つことである。それは、ある意味で悪霊との接触を伴うからである。あなたの心が神の前に十分清くないと、正しく霊を見分けることができないばかりか、悪霊の欺きに屈してしまう危険性がある。
しかし、ひとたびこの賜物が働き始めるや、悪の要塞は、危機的な様相を帯びてくる。それまでは、歴史を通じてその領域を徐々に拡大し、神を知らない人々に脅威を及ぼし、往々にして、それに立ち向かう信仰者たちの抵抗にも屈せず、返って報復を加え、その団結に大きな打撃さえ与えてきた悪の要塞の基礎が、いま揺らぎ始めるのである。
それは、見破る力による。悪しき霊の戦術は、人を騙すことにより、そこに破壊的な状況を作り出すことだからである。しかしその力は、非常に不自然な均衡を保っている。それは、偽りによって作り上げたもの、すなわち架空、お伽話だからである。そこに神の真理の光が差し込むとき、その化けの皮が剥がれ落ちるのである。そのようにして、私たちは、この賜物により、悪魔の欺きにより受けた傷を修復し、すべてを取り戻すことができるのである。私もかつてこのことを経験した。それは、すでにこのブログにも記したが、悪魔は私の長男に攻撃を仕掛け、受験の前に手術をさせることにより、私たちを不幸に陥れようとしたのだが、神が賜物を与えられ、私たちは悪魔の手から救い出されたのであった。
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