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2009/03/05

第5章 神様の油注ぎ

 ローマ1:11~12や第二テモテ1:6によれば、信仰者の中には油注ぎがあることははっきりしている。それは、聖霊の働きの一部であり、ビル・サブリツキーによれば、私たちを通して、聖霊が働かれるためには、私たちは、この聖霊の油注ぎを知る必要がある。それは、聖書に記されているように、神様から来る柔らかい油のように、暖かいものが注がれる感触だという。
 私は、霊的に鈍感な部類に入るらしく、そのような油注ぎの感触を覚えたことはあまりない。しかしあるとき、ある夫妻宅における集会において、私は、霊的な賛美に通じた夫妻のピアノとギターとともにバイオリンで伴奏に加わっていた。長い間奏の間に、その夫妻が突然私に目配せをし、音楽の流れを引き渡したのが分かった。私は、そのようなことは初めてだったのでびっくりしたが、そのとき急に神様から力が注がれたように感じ、私の内からメロディーが溢れ出てきた。それは、愛の旋律で、もう二度と奏でることができないほどに麗しい主イエスへの愛の歌であった。私はそのとき、旋律が与えられるままにバイオリンを奏でた。賛美が終わったとき、そこに出席していた預言者が私を前に呼び、預言をして言った。「いま、あなたの上に、神様からの強い油注ぎがあったと見ました。わが子よ、わが子よ・・・」と。
 また、夜遅く、自分の部屋で一人で、主イエスに向かって祈っているときなど、上げている手の指先から正座している足に向けて、何か羽毛のような、ふわっと暖かいものに包まれて行くような幸福な感触を覚えることは、ときどきある。
 いずれにしても、ビル・サブリツキーによれば、私が聖霊の油注ぎを感じ、それに圧倒されて神にすべてをお委ねし、私を通して聖霊に働きを成していただくためには、私の生まれつきの思いや感覚を完全に捨て去る必要があるということである。というのは、この個人的な生まれつきの思いや感覚こそが、私を聖霊の油注ぎを感じることから引き離していることが多いからである。
 しかし、それに成功したとき、突如、神の霊的な現実がその場の現実となり、天が開けて、彼の上に神の麗しい油注ぎが下ってくるのを感じるようになったとビル・サブリツキーは、彼自身の経験を交えて語る。
 ところで、私が学んだことは、この聖霊の油注ぎは、個人のためよりも、むしろ主の御体としての教会のためにあるということである。そこで私がそのこと、すなわち自分が主の教会の一部であることを自覚するときに、油注ぎも強まると思われる。そして自覚するだろう。自分に与えられている、この聖なる交わりをおいて、自分の存在する場所はないということを。そして、そこで私たちは、天国の前味を味わっているのだということを。

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