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2009/02/27

第2章 聖霊の賜物と御霊の実を区別する

 聖霊の賜物には、「知恵の言葉」、「知識の言葉」、「信仰」、「病のいやし」、「奇跡を行う力」、「預言をする力」、「霊を見分ける力」、「異言を語る力」、「異言を解き明かす力」があり、聖霊の実は、「愛」、「喜び」、「平安」、「寛容」、「親切」、「善意」、「誠実」、「柔和」、「自制」で、これらは明確に区別できるとビル・サブリツキーは言う。「私がまだ救われて間もない頃、聖霊の賜物をすばらしく用いることができる、いわゆる油注がれた神様の人々が、個人の生活においては望ましくないのを見て、私はとても驚きました。・・・彼らの生活に大きな罪を見い出したのです。それから私は聖書を深く学び、発見したことは、神の賜物は悔い改めなしでも、与えられるということでした」。そのように言う彼の言葉は、私の経験とも一致している。つまり、聖霊の賜物が与えられる条件は、主イエスが言われたように、ただ神に願い求めることで、神は求める者に良いものを下さるお方であり、それが聖霊の賜物というわけである。それに対して聖霊の実は、ただ神に従って生きるときに与えられるのである。確かに聖霊の賜物は、人を驚かせ、感動させ、魅了する。しかし、神は、人に無償で与えた聖霊の賜物でその人を評価されるのではなく、その人が結ばせる聖霊の実によってその人を評価されるのである。
 『良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。わたしにむかって、「主よ、主よ。」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。」しかし、その時わたしは彼らにこう宣言します。「わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども、わたしから離れて行け。」』マタイ7:19~23
 ビル・サブリツキーは、このことについて、次のように言っている、「このように神様が何かを与えられる場合には、完全に与え、それを取り戻すことはなさいません。しかし、私たちは賜物を正しく用いないために聖霊の力を失い、自ら賜物を放棄し、神様から離れてしまうことがあります」と。神様は、一度与えた賜物を取り戻すことはされなくても、行いの悪い人が、その賜物を管理できないことをご存知なのであり、私たちは、神を畏れつつ、神に賜物を願い求め、それを用いる必要があるということだろう。

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