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2009/02/26

第1章 信仰が要求される

 ビル・サブリツキーは、信徒伝道者であり、水の洗礼と同時に聖霊の洗礼(バプテスマ)を受けたことにより、聖書の霊的な意味を理解し始め、霊的な世界に飢え乾き、できるだけ早く聖霊の賜物の領域に進みたいと願うようになったという。
 聖霊のバプテスマは、霊的な事柄への入り口である。彼自身、多くの人を聖霊のバプテスマへ導いてきた。「私は普通、ヘブル語でとても親しい言葉で、父を意味する『アバ』という言葉から話すように勧めます。これは始めるにあたりとてもすばらしい言葉です。それは、神様を賛美する言葉であり、また、聞き慣れない言葉でもあるからです」と彼は言う。そのような彼の導きにより、「アバ」という言葉を最初はまねて発音していた人が、ついに次の瞬間に、知らず知らずに、新しい言葉を話しているようになる。そこには、一つの霊的な跳躍がある。この跳躍は、異言を話す人がいつでも経験するものだ。つまり、異言自体は覚えるものではなく、覚えるのは、この霊的な跳躍の感触なのだ。この跳躍を一度でも経験した者は、それを忘れることはない。それは、一度できればまたできると言えるようなものには思われないのだが。しかし、事実、一度飛べれば、もう一度飛べるのであり、何度も飛べるのである。それはちょうど、小鳥が初めて空中を飛ぶ経験をするようなものだ。しかしそれは、飛び方を覚えたということではなく、飛ぶ状態への移行の仕方を覚えたというのでもなく、ただ神の助けにおり、何度でもできるのであり、事実、神は、何度でもそれをさせてくださるのである。
 この霊的な跳躍を知った者は、さらなる霊的な深みへの願望を持つようになる。そして、それはやがて、みことばの深みに入っていく。みことばは、受肉した霊的真理であり、それを信じ、口ずさむとき、それは霊的な現実となるのである。ビル・サブリツキーは言う、「どのような霊の賜物を用いようと、神のみことばへの絶対的な信頼は欠かせません。もしあなたが主と共に歩み、神様から何かを得ていると信じていれば、神様はさらに前に進むことができる信仰をも増し加えてくださいます。例えば、『イエス様の打ち傷によって私たちはいやされた』という確信がなくては、いやしの賜物を用いることはできません。人々は賜物を軽率に用いようとしますから、決して深みまではいれません」と。

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