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2009/02/24

『聖霊の賜物を受ける』(ビル・サブリツキー著)について

Tamamono この本を買ったのは、もうかなり前なので、いつだったか忘れてしまった。初めてこの本を手にしたとき、これは特別な本だと感じた。そのデザインの奇抜さはさておき、聖霊を本当に知っている人にしか、このようなことは書けないと思った。しかし、そもそも聖霊を知るとはどういうことだろう。聖霊は、知ることのできるようなお方ではないのではないか。しかし、このビル・サブリツキーという人は、明らかに、私の知らないことを知っている。「風は、思いのままに吹く」と主イエスは言われた。そしてまた、「私が地上のことを話してもあなたがたが信じないなら、まして天上のことを話したとしたら、どうして信じられようか」とも言われた。天上のことすなわち霊的なことは、聖霊から知識を与えられない限り、語ることができない。そして、彼はこの本でそれを語っているのである。しかしそれを聞いた私たちは、それを理解できない。霊的なことは、理性では決して理解できないのである。それでは、この本の存在意義はなんだろうか。それは、私たちが聖霊に心を開くことなのである。そして、心を開いた者は、彼ビル・サブリツキーと同じ体験をするのである。神は、主イエスにおける恵みにおいて、分け隔てをなさらないお方だからである。

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第19章 世界に出て行って病人をいやせ

 この最終章で、フランシス・ハンターは、彼女に啓示された大いなる幻にもう一度言及し、さらにそれが現代において実際に起こりつつあるのを見いていると言う。それらは、彼らのミニストリーの場面に現された神の大いなる栄光の数々であり、ほとんど信じることができないほど驚くべきものである。彼女は言う、「神様はあなたに大きなステップを踏み出してもらいたいのです。それは、あなたに、悪魔を足の下に踏みつぶすすばらしい働きをしてもらいたいからです。そして、それは一人の大きなステップだけでは起こりません。それは、何百人、何千人あるいは何百万人ものクリスチャンがステップを踏み出し、病人に按手し、いやしを行うことによって実現するのです」と。
 この領域は、すなわち、フランシス・ハンターに示された幻の範囲は、ほとんどいやしを越えて、あの列王記にみるような預言者の世界のように見える。しかしハンター夫妻は、自ら公言するように、いやしを教えるために召されたのである。そこでたぶん、神は彼らの他にも、ご自身の奇跡の力を公然と世に提示する人々を起こされるだろう。これが聖霊の働きである限りは。
 「奇跡は、どのようにして起こるのか?」、それが、私がこの本を読む前に考えていたことだった。しかし、今この本を読み終えて、自分の考え方が少し、いやもしかしたら、根本的に変わったのを感じる。というのは、今の私はむしろ、「奇跡は、どのようにして、起こらなくされているのか」と考えているからである。私は、奇跡を起こらなくしているものは、人間の意識だと思う。というのは、不可解なことに、神は、この領域に踏み込むことをされないからである。それは、個人的な罪や悪習慣のようなものではなく、もしろ単純な不信仰の方である。それは、特にこの日本においては、クリスチャンの中にある、ある種の外面的な謙遜さと結びついていることが多い。いやしが起こらないと信じているのであり、それが起こること、しかも自分の手により起こると考えることを、高慢だと感じるのである。しかし、もし神があえてそれを意図しておられるとしたら。そして聖書には、まさにそのように書かれているのである。それは、悪魔が日本人に与えた悪しき思いなのである。だから、もしそのような倒錯した意識が自分も含め、日本人の心から取り除かれたなら、この日本にいやしのブームが起こるかもしれない。いやしは、起こりにくいものではなく、文字通り、起こるべくして起こるものなのである。
 私たちは、この本「病人をいやす秘訣」によって、その新しい霊的な世界の入り口に立たされているのであり、ハンター夫妻が言っているように、私たちは、神を制限しては、ならないのである。

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第18章 腕と足を伸ばす

 この章は、おそらく多くの人にとって、この本におけるもっともエキサイティングな章である。というのは、私はかつて、この章だけを読んで、その通りに行い、その結果、驚くべきいやしが起こったのである。そのとき私は、ここに書いてある通りに、その人を椅子に自然に座らせ、両足首をつかみ、私の両手の親指を相手の内側のくるぶしの上におくようにし(これは単に、短い方の足が伸びたときに、それが良く認識できるためである)、主イエスの御名で、多少短く見えた方の足に伸びるように命じただけであった。そのとき、足がごくわずかにゆっくり伸びたように見え、そしてその人から、実際に痛みが去ったのである。
 チャールズ・ハンターは言う、「自らの身体に試してみて下さい」と。そう言って彼は、今度は、腕を伸ばす方法(これも結局、命じることと、伸びたときにそれが認識しやすいようにすることなのであるが)を説明する。そしてそれは、多くの場合、その通りになるのである。ハンター夫妻は、何か新しい宇宙の法則でも発見したのだろうか。
 フランシス・ハンターによれば、こうである、「世界中の約80パーセントの人々は、背中に問題を持っており、そしてこれが世界で一番大きな病気の一つだということです」。つまり、ストレス等、様々な外的要因は、現代人の背中に集中して異変を生じさせる。そしてそれは、脊椎の不自然な湾曲を通じて、左右の足の長さの不揃いとして現れているのであるが、現代人はとても忙しく、自分の足の長さが左右同じかどうかなど、ほとんど確かめることなどしないのだろう。
 しかし、そのような症状に対し、このハンター夫妻の方法は、どうして効果を生むのだろうか。それは、私にも分からない。ただ言えることは、主イエスを信じない人には、この方法でもいやしは起こらないだろうということと、信じる人には、実際に高い確率で、それが起こるということである。つまり、ここに明らかに、いやしという一つの奇跡への入り口が存在しているのである。なぜ、神はそのようにされたのであろうか。私は、神がそれを、ハンター夫妻に掲示され、いやしの教育者へと召したのだと思う。
 いやしは、信じなければ起こらない。しかし、信じて行えば、この方法でいやしが起こるのである。それにしても、この方法のすぐれたところは、結果がリアルタイムで認識できるところにある。他の方法、たとえば背中の痛い部分に直接命じる方法等だと、背中から痛みが去るまで、いやしが起こったことが分からない。しかしこの方法だと、痛みが去るまでの脊椎や背中の筋肉の弛緩状況が、足の長さという目に見える変化となって逐次認識できるのである。それゆえ、それを見た人の信仰は、即座に強められ、それがまた新たないやしの力を生むのである。
 つまり、いやしという分野に信仰の他に、ある技術的な要素があるとすれば、それは、信仰をいかに維持するかということであろう。いやしを行おうとする人は、信仰を持っている。彼がそれを実際に行おうと決心しているのがその証拠である。しかし、彼がそれを実行に移し、それによって実際にいやしが起こるためには、そのときまで彼の信仰が継続する必要がある。つまり、彼がいやしを命じたとき、それが未だ目に見えなくても、それが実際に起こっていることを信じ続ける必要があるのである。
 ハンター夫妻の方法がそれを提供するのである。そして、今私がこのブログにこの本に関して書いているのは、まさに自分のためにほかならない。というのは、それにより私は、いやしを信じる側に明らかに立っていることを自分に認識させ、そのようにして、いやしの働きの中に自分を置くためなのである。

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