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2009/02/11

第14章 聖霊に敏感になる

 いやしは神の御心であり、主イエスにとって喜びである。これが私たちの確信である。しかしそれにも関わらず、いやしを行う者がいやしの力を行使する最初の衝動は、聖霊を通じた神からの指示であるべきである。ここで「最初の衝動」というのは、ある人が実践するいやしの一連のプロセスにおいて、実際に彼の内部に様々な衝動がわき起こるのが常であり、その際、彼を通じて流れ出る「哀れみ」等の聖なる衝動を、それがあたかも自分から発したかのように勘違いすることもあり得るからである。
 そこで、私たちがもっとも聖霊の助けを必要とするのは、いやしに取りかかろうとするときよりも、むしろそれを行っているとき、及びその後のことにおいてである。もちろん神は、私たちの自主性を最大限に尊重されるのであり、私たちをロボットのように動かしたりはされない。しかし、私たちが自分の考えで動いたり、自分の情動や悪魔の誘惑によって動かされている場合には、神は、ご自身から発し、私たちを通じて流れ出るいやしの力を制限されることがある。神は、ご自身の名誉にかけて、また私たちへの愛による配慮において、また高い御旨とご計画において、そのことを行われるのである。
 そこで、いやしが期待通りになされなかったときには、後でそのときのことを良く思い返してみて、自分が聖霊の導きに完全に聞き従っていたかどうか反省してみる必要があるだろう。
 聖霊に従うことは、自分の心との耐えざる戦いである。いつもその場に留まって聞く姿勢が必要とされる。たとえ、自分の前に成すべきことが明白に見える状況にあっても、それを正に成そうとする瞬間に、もう一度聖霊の導きを求めるのである。それは、耐えざる緊張の連続である。使徒行伝において、弟子たちはそのようにして、聖霊の導きに従い、みことばを宣べ伝えて行ったのであった。
 そのようにして、いやしの実践を通じて、日頃聖書で学んだ真理を私たちの実生活における、それも最前線における霊的な戦いにおいて適用し、そこで啓示される神の御旨を心に刻むことにより、従順な心、神の御心に沿った生活、堅固な信仰、練達した知恵に進むことができる。
 つまり、何かいやしのための特別な秘訣があるのではない。それは、神に従う信仰の実践の一領域に過ぎないのである。その目指すところは、従順で力強い神の僕、すなわち主イエスのような神の僕となることであり、その目的は、伝道すなわち主イエスの大宣教命令の実現である。それゆえ、すべては、この文脈に沿って理解され、実践されるべきである。
 フランシス女史は言う、「神様が語って下さる事に敏感になって下さい。神様の声に聞いて下さい。いやしについて学ぶのに、これ以上大切なことはありません」と。そして、神の声を聞き分けるには、常に聖書の言葉を読む必要があると言う。聖書は、神が語られた言葉(ロゴス)であり、それにより、私たちは、神が今このときに自分に対して語る言葉(レーマ)を聞き分けるのである。

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