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2009/01/27

第2章 重大な難関突破

 フランシス女史の確信は、「今は、終わりの時である」ということと、「現代における伝道は、奇跡の実践による」ということである。そして、彼女は驚くべきことを言う、すなわち「超自然的な事は教育され得る」と。それがハンター夫妻が人々に「病人をいやす秘訣」を教える理由なのである。そして、彼女の幻によれば、神が彼らにそれを命じられたのである。これは、私がこれまで持っていた確信と大きく異なっていた。
 それにしてもなぜ、超自然的な事が教育され得るのか。それは、それがある種の単純性を持っているからだろう。例えば、奇跡を起こす手段としての「信じて命令すること」、これはある意味で、非常に単純なことだが、誰でも簡単にできるというものでもない。私たちの意識が複雑なものになってしまっているからだ。しかし主イエスは、病に治るように命令された。そして、その言葉はその通り実現した。そして、弟子たちに言われたのである、「あなたがたは、私のしている業を行うようになる」と。これは、今日でも奇跡を行う多くの人々に共通していることのように見える。もし私たちが、フランシス女史の言う、この単純性を身に付けることできれば、今日でも私たちは、奇跡が起こるのをこの目で見ることができるのだろうか。しかも、ハンター夫妻は、この件に関して、私たちに何かを教育してくれると言うのである。それでは、私たちは夫妻から何を学ぶことになるのだろうか。
 まず、この本「病人をいやす秘訣」を学んで驚くことは、そこに書かれていることを実行すると結構な確率で奇跡が起こることである。しかしそこには、魔法の呪文のようなものはない。それでは、そこで教育されているものは、何だろうか。まず単純な事実としては、次のことが挙げられる。
(1) いやしは、単純なものであるということ
(2) それは、主イエスを信じる者だけが行えること
(3) そしてまた、主イエスを信じる者なら、誰でも行えること
 そして再び、これらを学ことは、次のことを知ることである。
(1) 病からのいやしは、神の御心であるということ
(2) いやしの力は、人にではなく、神にあるということ
(3) その力は、信じる者と共に働くということ
 以上が示唆するものは、徹底した神への従順と献身、栄光の帰結なのである。病のいやしは、ともすると、人が神の栄光を横取りするもののように受け取られやすいのだが、そこにおける単純性に着目し、その意図を正しく理解した場合には、徹底した神への従順となり得るのである。しかしそれはまた、依然として危険をもはらんでいる。そこに成される奇跡の功績を神に帰さない場合には、それが神の栄光を盗むことにもなるからである。そこで、奇跡により、神の栄光を現そうとする者はまた、神への不断の従順をも身につけなければならないことになるのである。

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