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2009/01/24

第1章 一つの働きのための二つの幻

 チャールズ&フランシス・ハンターは、癒しのミニストリーを行う夫妻である。どちらかというと、妻のフランシスが主に語る人であり、この本『How to Heal the Sick』は、夫妻の体験や教えを一度はタイピストを志した妻フランシスが自らの手で活字化したもののようである。そのフランシスに与えられた二つの幻からこの本は始まる。地球レベルのこの二つの壮大な幻のうち、第1の幻は、夫妻のミニストリーの方向性を提示するものであり、それは、当時癒しのための学校を運営していた夫妻に、新たにビデオテープやDVDの提供により、その働きを全世界に広げることを示唆する。それゆえ、この本は今、私の手元にあり、これを勉強することは、この幻に整合することになる。
 もう一つの幻は、このミニストリーの目的についてである。そこには、巨人が現れる。その巨人は、キリスト教界のように見える。彼に力はなく、生きようともがいていたが、彼が天に向けて手をさし延べると、彼の上に神の力が降り、それは何百万人もの人々の群れとなり、キリストが現れて彼らに油を注いでミニストリーに召し、彼らは全世界に出て行った。しかし、キリストの召しを拒否した人々もいた。そして、召しに従って出て行った人々は、まるで使徒行伝の時代のような目覚しい働きをし、そこにはまた、激しい迫害も起こった。それらのことの後、キリストが降って来られて、それらの人々を栄光の花嫁として天に迎えると、地上には神の怒りが注がれた。これらのことは、まるでヨハネの黙示録のようであり、それを聞く者に、ある種独特の感情を呼び起こす。それは、狂信的、閉鎖的な感情である。自分の従来の信仰概念が根底から覆されるように感じられる。そこには、神学も理性もない。フランシス女史は言う、「教義ではありません。教会でもありません。それはイエス・キリストです」と。
 私たちが教えられてきたのは、教会はキリストの花嫁であり、教会に所属して信仰生活を送ることこそがキリストの僕となることであった。そして、教会から迷い出ないように、正しくキリストに仕えるために教義が必要とされた。しかしここで女史が言っているのは、教義も教会もキリストのためにあるということなのだろう。今日の教会において、キリストの教えが語られるとき、ともするとそれが、教会の維持運営のためや、個人の幸福のため、また、教義のつじつまあわせや自分の信仰生活に安堵感を得るため等々になってしまっていることがあるかもしれない。しかし、私たちは、いつもキリストだけを見ている必要がある。そしてそれこそが教会に属することであり、教義の精神なのである。
 だから、私たちは、つねにこのような強烈な幻により、自分の信仰を揺さぶられる必要がある。それが、ヨハネの黙示録にこう言われていることの意味なのだろう。すなわち、『この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。』

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『病人をいやす秘訣』(How to Heal the Sick:チャールズとフランシス・ハンター著)について

Iyashi この本は、かなり前から私の手元にある。そして、何度か斜め読みをしたが、それほどまじめに読んだことはなかった。しかし、この本の通りに行って、実際にいやしの不思議な力が働いたことが何度かあった。これは、魔法の本なのだろうか。それとも、異端か、その他とにかく私たちが気をつけなければならない類の本であり、この本の通りに行うことは、それを行う者の魂に危険が及ぶというような代物なのだろうか。最近また、読み返してみているが、どうもこれは、それほど危険な書物ではないような気がする。しかし、最初からどうも、著者に個人的に示された幻が提示されていたりして、とっつきにくい感は確かにある。
 それにしても、なぜまた最近この本を読み返しているのかと言うと、最近のキリスト教界は、どうもある種の混乱を呈しているようで仕方がない。私が所属しているギデオン協会では、新しい個人訳聖書配布の問題で、退会者が続出するような、一種危機的な状況にある。また、純福音事業家親交会(FGBMFI)もかつてのような神の人の集団ではなくなってきている。教会では、牧師の慢性的な不足状態にあり、牧師の給与は非常に低く、こんな状態では、だれも牧師になりたいなどとは思わないような気がする。つまり、世界的な恐慌状態は、経済や社会だけではなく、ご多分にもれずキリスト教界もまたそうなのだということだ。そしてそこには、確かに逆スパイラルが旋回を始めており、霊的な停滞状態の中にあり、宣教の力も聖霊の風も、弱くなっている状態のように見える。
 最近またひょんなことから、ジョン・ウィンバーの『力の伝道』を読んでみた。そして感じたことは、今の日本が求めているのは、実は、このような『力の伝道』ではないのかということである。理論でも神学でもなく、道徳や隣人愛でもなく、ただ神の栄光のみを求める力の伝道ではないのかということである。この有無を言わさぬ神の啓示だけが、この意味多様な時代、自由な時代、それでいて八方ふさがりで、暗く逃げ場の無い時代において、人々の心に協力にアピールし、アプローチできる唯一の伝道の原動力なのではないかと思った。
 そして、そんなときまた、このハンター師の『病人をいやす秘訣』を読み返してみて、この本に込められた、メッセージにある種非常にフレッシュなものを感じた。ここにもしかしたら、新しい視点があるのではないか。いままで、ただただ狂信的、盲目的、迷走的な方向性とばかり思っていた、このような方向性の中に、何か自分が勘違いしていた、キリスト教界が勘違いしていた、忘れてはならないあるものがあるのではないかと思い至った。
 そこで、この本について、少しブログに書きながら、冷静な目と心で考え直してみようと思った。これは、典型的なカリスマの本である。そして、この通り行うと、けっこう高い確率でいやしが起こる不思議な本である。しかし今目を向けたいのは、そのいやしの実効性と共に、それを受け取る秘訣、神とある種非常に親密な状態(そのようなものがあるのかどうか知らないが)に自分を置く秘訣、心構え。従来の自分の信仰生活から、新しい信仰の段階への到達方法、新しい霊的な視野を得る方法、新しい献身の思いの獲得、主イエスへの真実な愛と献身の獲得、神の前に己を無とし、浪費しつづける状態への到達方法、その他いろいろなものである。

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