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2009/01/22

心の城壁

ネヘミヤ記 第4章
 城壁の再建が進むにつれ、反対者たちの攻撃もエスカレートしてきた。彼らは、ユダの人々を混乱に陥れようと、皆で共謀してエルサレムに攻め上ってきた。この攻撃により、民の心は乱れ、彼らは言った、「もっこを担ぐ力は弱り、土くれの山はまだ大きい。城壁の再建など、私たちにはできません」と。一方、反対者たちの近くに住む者たちは、このことのゆえに、幾多の非難と攻撃にさらされていた。そこで彼らは、敵の攻撃に備えて、一方の手で作業し、もう一方の手に常に投げ槍を握っていた。
 現代を生きる私たちの信仰生活にも、ときとしてこれと同じような困難が伴う。それは、社会的な責任と目まぐるしい生活のリズムである。それらの圧迫は、まず私たちの生活からプライベートな時間を奪い、ついに信仰生活にまで攻め上って来て、それを脅かそうとする。休日出勤や家庭への仕事の持ち帰り、新聞記事やテレビ番組の選択やものの考え方に至るまで、会社の影響を受ける可能性は否定できない。そこで私たちは、どうしても片手に投げ槍を持って、身に降る火の粉を払いながら歩まざるを得なくなる。そして、聖日礼拝のゆえに休日出勤を断ると、他の人の仕事が増えるといやみを言われることにもなる。
 そのようなとき、私たちはクリスチャンとして、「証しにならない」などと不安を漏らし、世の人に良く見られようと、信仰生活を自ら制限されたものに作り替えてしまうことがある。しかし、実はそこから彼の信仰生活の崩壊が始まるのである。もしネヘミヤがあのとき、工事の手をゆるめていたら、すべてが水泡に帰していたことだろう。ネヘミヤは、決して譲らなかった。敵からそしられようが、同胞が悲鳴を上げようが、彼は動じなかった。彼が見ていたのはただ一人、天の神なのであり、その栄光以外に彼が追求するものはなかったのである。そして、私たちにもあってはならないのである。そのようにして、初めて城壁は完成するのであり、今日それは、私たちの心の中に築かれるのである。

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