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2009/01/16

最後に残されたこと

エズラ記 第10章
 民の犯した罪を知ったエズラは、ただ呆然と座り込むだけで、成すすべもなかった。屈辱的な70年間の捕囚生活の後に、神の一方的な赦しと恵みに始まり、多くの人々の血と汗により、幾多の妨害と困難を乗り越えて、やっと整えられたすべてのものが、いまや意味のないものになり果ててしまったのである。
 エズラは、神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、ただただ身を伏せていた。するとそこへ、イスラエル人が1人、2人と集まり出し、男、女、子供からなる非常に大きな会衆ができた。彼らも激しく泣いていた。エラムの一族のエヒエルの子シェカンヤは言った、「わたしたちは神に背き、この地の民の中から、異民族の嫁を迎え入れました。しかしながら、今でもまだイスラエルには希望があります。」モーセの律法には、このような場合における罪の購いが規定されており、それに従って罪の購いをすることを彼は提案したのであった。この提案により、すべてのイスラエル人がエルサレムに集められた。その日は、朝から冷たい雨が降り注いでいた。民たちは、そとに立ちながら、寒さと罪の呵責に震えていた。それはおそらく、神の備えられた悔い改めの時だったのだと思う。エズラは立ち上がり、民たちに言った、「あなたたちは、神に背いた。異民族の嫁を迎え入れて、イスラエルに新たな罪科を加えた。今、先祖の神なる主の前で罪を告白し、主の御旨を行い、この地の民からも、異民族の嫁からも離れなさい。」すると会衆は、こぞって大声で答えた。「必ずお言葉通りに致します」と。
 神が民の心を動かされたのか、それとも、これもまた、まさに彼らが神の民たる所以なのか。とにかく、民たちは、イスラエルの神なる主のもとへ帰ってきた。そして、それこそが、神殿が再建され、モーセの律法が行われるようになった後に、最後に残された、どうしてもそうならなければならない、ただひとつのことだったのである。

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