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2009/01/03

第二の出エジプト

エズラ記 第1章
 バビロン捕囚から70年が経過したとき、神はエレミヤを通して約束されたことを成就するために、ペルシア王キュロスの心を動かされた。キュロス王は、国中に文書で布告し、主の民に属する者は誰でも、ユダのエルサレムにイスラエルの神の神殿を建設するために、上って行くことを許可した。そして、キュロスの命令により、周囲の人々は皆、あらゆる随意の捧げ者のほかに、銀と金の器、家財、家畜、高価な贈り物をもって彼らを支援した。またキュロス王は、ネブカドネツアルがエルサレムの主の神殿から出させて、自分の神々の宮に納めたすべての祭具類を取り出させ、ユダの首長シェシュバツァルに託し、シェシュバツァルは、それをエルサレムに携え上った。
 これはまるで、かつての出エジプトのときのようだ。かつてエジプトで奴隷となっていたイスラエル民族を神の人モーセが導き出したとき、エジプトの王パロは、「さあ、わたしの民の中から出て行くがよい。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい」と言って彼らを送り出した。イスラエルの人々は、モーセの言葉どおりに行い、エジプト人から金銀の装飾品や衣類を求めた。主は、この民にエジプト人の好意を得させるようにされたので、エジプト人は彼らの求めに応じた。彼らはこうして、エジプト人の物を分捕り物とした。
 神の救いの業は、いつもただ神により始められる。それが始まるとき、人の側で成すことはなにもない。そこには実に、祈りさえもない。神がこの地上に、ご自身の栄光を現されるために、そのことを行われるのである。そして、何もない荒野に、純金のケルビムと契約の箱を納めた至聖所が顕現し、色鮮やかな幕屋が張られる。人には、その価値さえ分からない。ああ彼らが、その栄光の輝きの片鱗だけでも心の目で見ることができたなら、彼らは自分たちの神を偶像と取り替えたりはしなかっただろう。ああしかし、それらは、文字となって記された。それは、神ご自身である。何ゆえに。おおそれは、今日を生きる私たちのためなのである。彼らはみな死んでしまった。しかし、聖書は残った。そして、その中に神の栄光が今も輝き続けており、それは、再び燦然とこの世界に輝き出ようとしているのである。
 リバイバル、後の雨、それらは必ず来る。それが、もうすぐ来ようとしている。神は、その日のために、このエズラ記、ネヘミヤ記を記された。今これを読む者たちは、その心に一つの衝動を与えられる。そう、急ぐことを。神がご自身の神殿を再建せよと言われている。その神殿は、まず私たちの心に建てられなければならない。そこに神が住まいされ、私たちを通してこの世界に神の栄光が輝き出でる。それは、幾度となく中止させられてきたが、やがてそれが成就するときがくるのだ。

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