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2008/12/29

愛による畏れ

歴代誌下 第34章
 神の裁きによる個人的なバビロン捕囚により悔い改めて主に立ち返ったマナセの信仰も、その子アモンには伝わらなかった。神を信じる者の幸福は、その者にしか分からない。そして、その繁栄は、神に逆らう者の繁栄と外見上は区別がつかない。それは、受け取る側の心によるのだからである。
 しかし、アモンが謀反により殺された後、国の民たちは、謀反を起こしたすべての者を討ち、その子ヨシヤをアモンの代りに王とした。このように、不思議なことだが、時として民衆が神に対して一人の人のように振舞うことがある。神が聖霊を注がれ、国に神を求める意識が芽生えることがある。それは、一方的な神の恵みである。そのようにして、ヨシヤに神の霊が働いていたのだろう。彼には、父祖ダビデのように神を愛する心が与えられていた。彼は、まだ若かったときに、父祖ダビデの神を求めることを始め、即位12年にして、ユダとエルサレムにあったすべての偶像を排除した。その後、彼はマナセ、エフライム、シメオン、さらにナフタリにまで及ぶ地方も含め、イスラエルの国中で異教の祭壇やアシュラ像を取り壊し、エルサレムに帰った。これは、人間の考えではない。神が愛されるのは、全イスラエルだからである。そして、ヨシヤはその心を神と共有していたのである。
 イスラエルを清めたヨシヤは、次にエルサレムの神殿の修理に取り掛かった。その資金としての献金を宮から取り出していた祭司ヒルキヤがモーセによる主の律法の書を見つけ、書記官シャファンに渡し、シャファンがそれをヨシヤ王の前で朗読した。シャファンは読み上げながら、その意味が分からなかったが、ヨシヤにその意味が啓示された。確かに啓示は、神から来る。そして、それが示された者だけがその意味を理解することを許される。しかし、同時にそれは、受け取る側の心、すなわち主を愛する心に共鳴するのである。ヨシヤに与えられていた、父祖ダビデのように主を愛する心が律法の書の朗読を聴いたとき、それが激しく鳴ったのである。ヨシヤは書記官シャファンに言った、「この見つかった書の言葉について、わたしのため、イスラエルとユダに残っている者のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖が、主の言葉を守らず、この書物に記されたとおりにすべての事を行わなかったために、我々の上に注がれた主の怒りは激しいからだ」。ヨシヤは、主を恐れた。しかし、それは愛による畏れであった。この心は、ただ主を愛する者だけに理解できる。それは、彼の父祖ダビデと同じ心である。ダビデは、イスラエルの人口調査をして主を怒らせたときに、「主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない」と言った。ここには恐怖心はなく、ただただ主を畏れ敬い、何をおいても主を第一に愛する心だけがあるのだ。
 神は、女預言者フルダにより、ヨシヤの愛に答えて語られた。「あなたはこの所とその住民についての主の言葉を聞いて心を痛め、神の前にへりくだり、私の前にへりくだって衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた。あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られ、わたしがこの所とその住民にくだす災いのどれも、その目で見ることはない」と。

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検索エージェント

 前論におけるアブラハムやダビデのような、それに対して問いかけることにより様々な結果を得ることのできるような聖書オブジェクトを「検索エージェント」と呼ぶ。利用者は、このオブジェクトに実装されている様々な機能を活用することにより、聖書に関する知識がなくても、信仰的な様々な精神活動を実践することができる。例えば、聖日説教の中で語られたダビデという人に興味を持った人は、このシステムを介して、ダビデという検索エージェントに、マンマシンインターフェースの形態は別として、次のように問いかけることができる。すなわち、「ダビデさん。あなたのことを今日の説教で聞きました。あなたは、いつ頃の人で、どんなことを行われたのですか」。すると、ダビデというオブジェクトは、彼が主体となっている行為オブジェクトをデータベースから検索して、それらの中から特筆すべき彼の業績をその背景や関連する人物も網羅して、順序立てて物語ってくれるだろう。
 つまり、聖書をあまり読んで調べなくても、ダビデに関する一般的な知識から、詳細な知識をその背景まで含めて効率的に得ることができるのである。これは、ダビデという検索エージェントにインテリジェントな機能が実装されているからである。検索エージェントの機能としては、上述のような「自己紹介的な機能」の他に、例えば、「あなたの一番の親友は誰ですか?」というような質問に答える「リクエスト検索的な機能」、それから、「私は今、仕事で困難の中にあります」というような語りかけに対して、「私もこんな困難を経験しました。そして、そのとき神にこのように助けを求めました。それを私は、詩篇のここに記しました。そして神は、私の祈りにこのように答えてくださいました。」というように答える「証し的な機能」等々、様々に考えることができる。いずれにしても、それらは、言語処理システムをインターフェースとして、あたかも利用者が聖書の中の人物と会話しているように操作できるのが理想ではあるが、最初からそこまで行かなくても、とりあえずは、階層的なメニューの中から選択式に自分の意図に近い質問を選択し、それに対する答えもまた階層的な回答として提示され、それらの中から自分のニーズに合った知識を参照するようにすることも可能だろう。この方式に従えば、上記の「自己紹介的な機能」としては、「聖書の人物メニュー」(これは、聖書の書名や章または系図等により階層的になっている)の中から、ダビデを選ぶと、彼のプロフィールが階層メニュー形式で表示され、その中からさらに詳細に知りたい項目をクリックして参照するというような形態である。ダビデの人間関係等もこのプロフィールの階層に包含できる。また、「証し的な機能」についても、階層的なFAQ形式にすると共に、リクエストにより、常に新しい質問を増やして行くことも考えられるだろう。これらに加えて、Webページの得意とするビジュアルな絵や地図、グラフ等を併用することにより、さらに分かりやすいアプローチが可能となるだろう。
 最後に、この検索エージェントの諸機能は、実はダビデという聖書オブジェクトの中に実装されるのではなく、人物という汎用オブジェクト(クラス)の中に実装される。そして、この人物という汎用オブジェクト(抽象オブジェクト)から具体的なダビデとかアブラハムとかパウロとかの聖書に出てくる人物を派生的に生成することで、それらすべての人物オブジェクトに自動的に検索エージェントの機能が実装されるようになる。これもオブジェクト指向設計の利点である。そこで、聖書の実装においては、準備として、上記の「人物」のような抽象オブジェクトの設計がまず必要となるが、それには、従来の神学(特に組織神学)における研究成果が必要である。というのは、人物という抽象オブジェクトの設計は、聖書に即して、人間とは何かを考えることに対応するのだから。

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