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2008/12/25

第三の試練

歴代誌下 第32章
 ヒゼキヤがユダとイスラエルに大いなる信仰復興をもたらす偉業を成し遂げた後に、アッシリアの王センナケリブが攻めてきて、ユダの街々に侵入し、それらを攻め取ろうとした。
 神は、ご自身を信じ従う者たちを祝福し、あらゆる敵や困難から守ってくださる方であり、その神の守りにより、かつてヒゼキヤは力を増し、彼自身もさらに神に信頼し、神を愛するようにされた。
 ああしかし、神は、そのようにご自身を愛し、従い続けようとする者に試練を与えられる。そのことによって、その者が神から離れ、神に背をむけることになるかもしれないという危険をあえて犯してまで、神はその者に試練を与えられるのである。もし、神がその者にそのような試練を与えず、変わらぬ祝福を与え続けられたならば、その者は、いつまでも神に忠誠を尽くしたであろうに。しかし神は、彼のその忠誠を打ち壊したいと思っておられるかのように、言わばあえて彼の敵となられるのである。なぜであろうか。それは、神が彼との関係を永遠のものにすることを願っておられるからである。永遠の関係とは、なんであろうか。それは、どんな試練に遭っても変わることのない関係であり、それは、神との個人的な関係を意味するのである。もちろん神は、すべての人を知っておられるのだが、その人が神に個人的に知られるということは、たとえば、モーセやダビデのように知られることを意味するのである。そのとき、永遠でないものは、揺り動かされることにより、その存在が明らかにされ、取り除かれることになる。神はまさに、そのようにされるのである。
 もし、あなたが神との個人的な関係に入りたいと願うなら、あなたは神の与え給う試練に合格しなければならない。それなくして、あなたが神の友となる道はない。神の友とは、キリストが弟子たちを友と読んだその友のことである。
 ヒゼキヤは、神の与えられた最初の試練に勝利した。アッシリアの王センナケリブが攻めて来てユダを取り囲んだとき、ヒゼキヤが神に祈り訴えると、その夜に主の遣いが出て行ってアッシリアの軍勢を討ち滅ぼした。しかしその後神は、第二の試練を彼に与えられた。それは、病の試練である。ヒゼキヤは、最初高慢になったが、その後、神の前に遜り、この試練にも耐えた。神はさらに、第三の試練をヒゼキヤに与えられた。それは、この世の友の試練である。この試練には、ただ神のみを愛する者だけがパスすることができる。ヒゼキヤは、この最後の試練に破れてしまった。彼は、神殿の中のものを異邦人の使節に見せてしまった。神は、先の二つ目の試練においては、ヒゼキヤにやり直しを許された。しかし、この三つ目の試練においては、それは許されなかった。というのは、この試練は、やり直しの利かないもの、一度しかチャンスの与えられないものなのである。かつて、この第三の試練に合格したものはいなかった。実に、あの神の人モーセも、約束の地を前に、この試練に破れてしまった。それに合格したのは、我らの主イエス・キリストただお一人なのである。

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