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2008/12/18

神の奴隷

歴代誌下 第29章
 アハズの次にユダの王となったヒゼキヤは、心を尽くして主に立ち帰り、レビ人に命じて、まず主の神殿を隅から隅まで清めさせた。ヒゼキヤは、即位した年の第1年の第1の月の1日からこれを開始し、その月の16日にこれを完了した。つまり彼は、王となったとき、まず何をおいても、主の神殿の聖別に取り掛かったのであり、それが彼にとっての最優先事項だったのである。彼は、国民に律法教育を始めたりはしなかった。また、周りには敵対する国がいくつもあったが、軍隊を整えることもしなかった。彼は、それらを捨ておいて、まず主の神殿を聖別した。それは、天の神と契約を結ぶためであった。
 私たちは、日常生活において、神に仕えるために、何を優先しているだろうか。聖書の学びだろうか、それとも良い行いか、または奉仕だろうか。私たちには、イエス・キリストの恵みが与えられている。それは、それまでにかつてなかった絶大な恵みであり、信じる者に無償で与えられる。しかし、私たちは、その恵みが契約であることを忘れている。このときは、ヒゼキヤが神と契約を結んだ。彼は、雄牛7頭、雄羊7頭、小羊7頭、雄山羊7頭を引いて来て主の前でほふり、その血を祭壇に注ぎかけた。しかし、かの日にあっては、神の小羊が、その清い血を十字架に注ぐことにより、神と契約が結ばれたのである。だからそれは、神から一方的に差し出された無償の恵みなどではなく、大きな代償が伴ったものなのである。それゆえ、私たちは、自由になったのではなく、この御子による契約に縛られるものとなったのであり、事実パウロが言うように、私たちは、イエス・キリストの奴隷なのである。これが契約の本質なのであり、イエス・キリストは、歴代誌に記され、そのすべての目的としての神と人との間の完全な契約を成就したのである。

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