« 2008年12月3日 | トップページ | 2008年12月5日 »

2008/12/04

偶像崇拝への回帰

歴代誌下 第24章
 アタルヤの死後、町は平穏を取り戻したように見えたが、かつてアタルヤの元で権力を発揮していたユダの高官たちは、そのままの地位に留まっていた。彼らが一時おとなしくなったのは、革命の指導者である祭司ヨヤダが目を光らせていたからであり、彼らは密かに、復権の機会をねらっていたのであった。
 一方、ヨアシュ王も、祭司ヨヤダの助言の元で、主の目にかなう政治を強いられていた。しかし、ヨアシュという人は、生まれてから物心つくまで、神殿の中にかくまわれたままで、一度もそこから外に出ることを許されなかった。そのような人が、精神的に正常な成長を遂げることができるであろうか。たぶん彼には、祭司ヨヤダが目の上のタンコブのような存在だったろう。自分は、何一つ実践的な教育を受けられず、すべてをヨヤダに仕切られていたのだから。このヨヤダは、後にその死に際して、生前の数々の輝かしい業績を認められて、諸王と同じ墓に葬られることになる。しかし、ヨアシュには、あの暗い神殿の中で過ごした思い出しかなかった。彼は、その自分の暗い過去をいつも引きずりながら生きて来た。しかし、そのかつての自分の家であった神殿が、段々と荒れ廃れて行くのを見て、たぶんヨヤダを除く祭司たちとレビ人たちを集めて、その補修を命じた。これは、誰の目にも良いことのように彼には思われた。しかし、レビ人らは祭司ヨヤダを飛び越えたこの命令には、従うことができずにもたもたしていた。これは、ヨアシュの自尊心を傷つけるに十分であった。自分は一国の王ではないか、と思い立った彼は、祭司ヨヤダを呼んで、神殿の補修のための献金集めを命じ、それは功を奏したように見えた。民らは、ヨアシュ王が命じて設置させた献金箱に溢れるまでに投げ入れ、それを持って神殿の修復は順調に進んだ。しかしこれは、モーセが荒れ野で民に命じた献金の精神とは異なっていた。それは、神殿の補修のためではなく、罪の購いと神への感謝のためであったのだから。ヨアシュのしたことは、単なる問題解決のための方策に過ぎず、民の心を神に立ち返らせるためではなかった。ヨアシュは、神を愛してなどいなかったのだ。それは、祭司ヨヤダが死ぬことにより明らかになった。その絶好の機会を捉えて、ユダの高官たちがヨアシュ王のもとに来て、ひれ伏した。その初々しい態度を見て、ヨアシュは、自分が権力を振るう時が来たと思い、それらの高官たちの願いを聞き入れ、先祖の神、主の神殿を捨て、アシュラと偶像に仕えるようになったのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年12月3日 | トップページ | 2008年12月5日 »