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2008/11/21

ハエがいた

Fly1 机の上にハエが飛んできた。写真をとってみた。これは、まさしくハエだ。しかも金バエ。きれいなやつだ。デジカメでとると、こんなに大きく、毛が生えているのまで分かる。もう、寒くなるというのに、いまごろ何をしているのだろう。20枚ばかり撮ったけど、いちばんハンサムに撮れているやつを掲載してやろう。元気でな。

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実装神学の諸段階(第六段階:システムの応用)

 このシステムの応用は、その運用評価と改良の延長上に想定することができる。すなわち、聖書オブジェクトへ入力された情報に対する、そこからの有益なアウトプットの活用としてである。そして、オブジェクト指向設計技術が非常に柔軟なものであり得ることにより、純粋に聖書の記述に従って実装された聖書オブジェクトに、それらの仕様と混同することなく、新しい応用のための諸機能を追加することがまた可能なのである。そのようにして機能を拡張された新しい聖書オブジェクトは、全体としての聖書システムにおいて、その活用のためのヒューマンインターフェースを担う存在となる。
 その最も分かりやすい応用例は、クリスチャンコミュニティにおける聖書研究の支援である。例えばダビデという聖書オブジェクトは、サムエル記における主要な登場人物、戦い、祭儀、詩歌、預言等々との密接な関係を持っており、それらを検索するための有効な検索エージェントとなる。聖書においては、その書において生起した諸々の出来事は、その事件に関わる個々の人々の視点から書かれていることも多い。しかし、ダビデという検索エージェントは、それらを順序立てて、一人の視点から参照することを可能とする。これにより、例えば、サウル王から追われていたころのダビデが経験した戦い、窮乏、身を寄せた場所、出会った人々、等々を彼の詠んだ詩歌を交えてダビデ自身に物語らせるということもあるいは可能かも知れない。また、歴代誌の上下二巻は、ダビデとソロモンのもとでの神殿建築と礼拝について記しているが、それらの形成過程と出エジプト記やレビ記における幕屋や祭儀との関係を、そこに現れる祭儀オブジェクト同士の対応から相互参照することも可能であろう。また、他の観点からは、新約聖書の中の手紙においてパウロが参照している旧約聖書の出来事や特にヘブル人への手紙における祭儀、信仰の偉人たちの行動等々に対応する旧約聖書の事柄を、それらの福音的な位置づけとの関係で系統的に参照することは、パウロの神学の語る旧約聖書の独自な解釈を浮き彫りにし、時満ちて遣わされたイエス・キリストの恵みの絶大な価値を再発見することにつながるかもしれないという期待を与える。
 そのように聖書全体をその隅々に至るまで、神の礼拝と律法の運用という中心的な主題に沿って理解、参照できる基盤が整うことにより、聖書全体の骨格が明瞭に把握されると共に、例えば「愛」とか「憎しみ」、「取りなし」、「身代わり」、「欺き」、「助け」、「試練」、「忠誠」、「謙遜」、「柔和」、「慈愛」、「怒り」、「悲しみ」、「喜び」、「希望」等々、日常的な感情や意志の根拠や土台、背景等を聖書の中に求めることが可能になると共に、それを通じた、現代を生きる実存への深い理解とそこへの伝道的なアプローチの段階的な方向性を導き出すことも可能と思われる。これは、さながらこのシステムが一人の牧師的な側面を見せることから、インターネット上に開設されることが想定される仮想教会(バーチャルチャーチ)におけるCRM(Customer Relationship Management)すなわち、オンラインフォローアップの継続支援に利用できるだろう。
 そのように、このシステムの最終目的は、現代を生きる人間存在が見たり聞いたりすること、さらには、そこから感じ、考え、意志することまで含めたすべての精神活動に、聖書的な背景と根拠を与えることであり、それにより、「あなたはこうすべき」とまでは行かないまでも、「聖書はこう言っている」とか、また良いことにつけても悪いことにつけても「聖書の中のこの人物は、そういうときこうしたが、その結果こうなった」とかの情報を、その背景や条件も添えて提供することが可能となるだろう。そして、このシステムがコンピュータシステムとして構築されることの目的は、そのような情報提供をオンラインで、インターネット上の不特定多数のクライアントをターゲットに展開していくことが想定されているのである。
 今日、GoogleやYahoo、Amazon等が、インターネットの世界を凌駕している。彼らは、自らのサイトにアクセスしてくる膨大な数の人々のアクセスログを記録、分析して、そこからその人の嗜好を抽出し、それに呼応したこの世的な価値観による強力な商法を展開している。そこで、それらのサイトが提供するサービスは、必然的にこの世の欲望を色濃く反映したものとなる。そして、それらのサイトが発信する情報により、人々の思いが影響を受けることにより、そこで収集されるアクセスログは、より欲望に傾いたものとなる。そして、その解析結果が再びサイトに反映される。そして、・・・。この罪の悪循環を止めるためには、キリスト教界から、まずしっかりとした聖書の価値観に基づく、正統な物事の考え方がオンラインで提供され、インターネット社会の中で活用されて行くことが必要と思われる。

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