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2008/11/20

実装神学の諸段階(第五段階:システムの改良)

 すべての神学は、その構築自体が目的なのではなく、それによる実存の解明を通じた、生き方の提示、世への提言と警告がなされなければならない。そこで、実装神学の第五段階以降は、その本来の目的の達成段階である。これは、実際に実装されたシステムの改良と活用により実践されることになる。
 システムの改良は、実装神学そのものの構築の追求と見られ、聖書システムを構成するおびただしい数のオブジェクトの個々の評価と実装の改良のことである。オブジェクト自体の評価は、その動きが聖書に整合しているかどうかという観点に立って行われるが、一方システムという観点からは、それが聖書に記述されていない結果までもアウトプットすることから、その結果からの聖書の事実の再解釈の妥当性、有効性、応用性を評価することが中心となる。個々の聖書オブジェクト以外の要素としては、天と地、二つのオブジェクトコンテナの評価とそれらの高度な統合体としてのシステム全体の評価が想定される。しかし、オブジェクトコンテナ自体も一つのオブジェクトであるという意味からは、これも個々の聖書オブジェクトの評価に含めて考えることもできる。また、システム全体の評価は、実際にそれを動かしてみることによるのであり、そのためのマンマシンインターフェースが必要となる。その一つは、歴史全体を鳥瞰するコクピットのようなもので、神と民族の視点からシステムの機能を評価する。そして、もう一つは、自分というオブジェクトによる方法であり、歴史の中に没入し、その内部から周りを見渡すことによる評価である。しかしこの場合には、自分自身が歴史に与える影響をも考慮する必要があるだろう。しかし、そのような全体としてのシステム評価の結果がどのようなものになろうとも、その改良は、個々の聖書オブジェクトの改造に帰されることになる。というのは、このシステムの実体は、個々の聖書オブジェクトそのものなのであり、それ以外にシステムとしての本質的な要素は存在しないからである。つまり、このシステムが全体として、聖書に従って機能するかどうかは、個々のオブジェクトが聖書の記述を忠実に実装しているか否かにかかっているのであり、この神学の構築努力はすべて、そこに費やされるのだからである。
 しかし、各オブジェクトがソフトウェアコンポーネントとしてそれなりに形を成し、その表現すべき対象の性質をある程度具現化し、システムとしての歴史の中でそれなりの存在感を獲得してきた暁には、このシステムの機能の有機的な活用というものが現実味を帯びてくることになるのである。

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実装神学の諸段階(第四段階:システムの運用)

 聖書システムのユースケースは、様々に想定される。まず考えられるのは、種々の聖書情報の検索アシストである。例えば、アブラハムという人と彼の関わる歴史に関すること。さらに、後代の人々に与えた影響等は、すべてアブラハムというオブジェクトに質問することにより、回答を得ることができる。その意味で、アブラハムというオブジェクトは、彼に関する情報の検索エージェントとなっており、彼を通して、聖書を一つの切り口から概観することができる。同じように、ダビデという人の目から見た聖書の歴史を紐解くのは、また一つの感動的な体験となり得るだろう。さらに、この応用として、イエス・キリストによるアブラハムの体験の参照が想定される。イエス・キリストがアブラハムのことをどのように語り伝えられたか、そして、そのことのアブラハムの生涯における位置づけや、その時代の諸事件や人々との関係等も検索することができるだろう。同様に、パリサイ人がイエス・キリストを通して聞いたアブラハムのこととその背景や、パウロを通してのアブラハムに関する事柄の検索等々、研究的な応用は様々に考えられる。
 次に想定される運用側面は、聖書に記述されている断片的なことがらから、それらの間のことがらを補完するシミュレーションである。例えば、ある歴史上の人物の異なる複数の時点における位置や地位、年齢、経済状態等々から、それらの間における状態の推定とそのような想定条件による他のオブジェクトとの関係とその結果としての状態の推定等である。
 さらに想定される運用局面として、異なる時代の似通った事象間の因果関係の比較。また、その現代への適用とそれから導き出される判断結果と行動指針。歴史上の出来事から、その原因のいくつかを除去した場合のシミュレーション結果により、それらの要因の事象への影響と要因の意味と重大さの考察。
 上記のことを通して、追求されることは、読み手が聖書の全体をリアルに戦慄を持って、自分に語りかけるものとして受け取り、それに全身全霊を持って応答することなのであり、それ以上のものでは決してないのである。まして、それは人類の発展のためなどではない。このシステムの目的は、迫っているイエス・キリストの来臨を遅らせるようなものであるべきではないのである。

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