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2008/11/18

実装神学

 正統派神学は、聖書を神の言葉として、その信憑性を前提に研究、構築されてきた。しかし、その場合でも、何をもって聖書の原典とするかということや、それをどのようにそれぞれの言語に翻訳するかということ、さらにそれをどのように解釈するかということにおいて、いろいろな立場やアプローチの違いがあり得ることから、そこに様々な神学とそれに基づく教派が生まれてきた。
 しかし、信徒の立場から見れば、この状況は、憂慮すべきものであり、どの教派を選べば良いか迷う上に、そもそも生活圏と教会の位置的関係から、万人に教派選択の自由が十分に保証されているわけでもない。そこで、たまたま選択した教派により、その人の信仰人生のかなりの部分が規定されることにもなる。
 しかし、そもそも神学とはなんだろう。うがった見方をすれば、それは、信仰要素の一つの調和した体系である。しかし、この調和ということには、多分に人間的な要素が含まれる。そこで、人の思いを遥かに越えた神の思いの断片をこの世界に投影して調和させる試みは、様々な異なるシナリオを生み出すことになる。これを解決する最も単純な方法は、無理に調和させないことである。しかし、調和をさせなければ神学の概念が成り立たない。調和しているということが、その神学の信憑性を保証する、一つの有力な兆候でもあるからである。
 私たちが伝統的な神学に従って、机上で議論している限りは、この限界を越えることはできない。しかし、これまでも、実践神学という立場があった。これは、特定の神学の理論には立たず、聖書やその研究成果を実生活や社会現象に適用することにより、聖書の断片的な真理の性質とその人生への適用方法の定式化を模索するものである。それゆえこの立場は、信仰要素の調和を最初から求めることはしないが、その到達点として、一つの調和した体系に至ることを目指していると言えよう。
 これらに対して、今私が提唱しようとしている実装神学とは、次のような立場である。それはまず、信仰要素の調和を求めることをしない。それは、永久に調和自体を目的とすることはない。それはむしろ、聖書の断片的な真理を個々に実装することに集中し、その実装形態の評価と改良を第一の目的とする。そして、その実装された総合的な機能体系をもってして、個々の実存のあり方を解明することがその究極の目的なのである。このことを実現するために、この神学は何と、聖書の実装を実際に動かして見ることを追求するのであり、これに最適な環境は、オブジェクト指向に基づく現代のコンピュータ技術である。この「聖書を動かす」という大それたもくろみは、これまでの神学の限界を打ち破る可能性を持つ。それは、実践神学と同じようなアプローチを持ちながらも、実践神学が成し得なかったことを実現する。それは、聖書の歴史全体を対象とした広大なシミュレーションの実現と実装の改良によるスパイラル的な実証サイクルの高速化であり、それらをコンピュータアシストで実現するのである。
 しかし、そのようなものが神学と呼べるだろうかと思われる方も多いだろう。それは、まず、聖書から実体を抽出し定義することから始める。これは多分に組織神学の方向性に近いと思う。そして抽出、定義された実体を並べるところの背景としての歴史をもオブジェクトとして定義する。それは、聖書に含まれる諸実体間を時間的、関係的につなぐ役割を演じると共に、聖書の章節とも関連をもたせる。これは、歴史を支配する神の摂理を分析し、それを静的なものとしてではなく、各実体間の相互作用として体系化することを目指しており、これは、広大な予定論の実装にもなぞらえられる。なぜなら、ここにおいては、三位一体の神さえも一つのオブジェクトとして体系化できる可能性があるからである。それは、コンピュータ技術が定義するところのオブジェクトが外部的な定義であることによる。つまりこれに従えば、神のもっとも大きな定義は、神という名前そのものであり、その概念の内側に、三位一体という性質が実装されることになる。このように、聖書に即して、聖書に記述されている概念だけを用いて、聖書の実体を定義、実装していくことが可能なのである。
 私は、この実装の応用可能性が大きく開かれていると確信する。それは、たとえば、現代人の思考形態に劇的な影響を与えつつあるGoogleの検索結果に対し、神の御心に沿った、物事の解釈を提供する。そのようにして、人の精神活動のすべてを聖書の真理に基づいたものとするための情報基盤を提供する。それ自身一つの情報システムであるゆえに、それは例えば、ネットワーク経由で、他の情報システムと疎結合され、そのバックエンドで、種々の処理における愛と祝福の原則を提供し続ける。それはちょうど、実践神学が、聖書の真理を人生に適用したように、それをインターネットの仮想世界に適用し、そこを神の国に変革しようとするのであり、そのようにして、聖書の真理が、いかに祝福にあふれたものであるかを実証しようとするのである。
 そのために必要なすべての道具と材料を神が今与えていてくださっているのである。しかもタダで。これは、驚くべきことである。その有り様をこのブログで記述し、私に与えられた知識と技術をもってその実装にチャレンジしてみたいと思っている。

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