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2008/09/18

第一の審問とその結果

ヨハネの福音書(第18章33節~38節)

 イエスは、ただ一人ピラトの法廷に立っていた。ユダヤ人は、迫っている過ぎ越しの祭りの前に異邦人に交じることによる汚れを避けて、そこに近づこうとしなかったからであった。しかし、この法廷で裁きが下されるためには、まずイエスの罪状が明らかになる必要があった。そこでピラトは、イエスに審問して言った、「おまえはユダヤ人の王なのか」と。それは、ブルトマンによれば、イエスが国家権力の代表者が承認できないような政治的な称号を要求しているのかどうかを確認するためであった。これに対して、イエスは、「それは、あなたの考えか、それとも他人の入れ知恵か」と切り替えした。ピラトは、その場を政治的犯罪の法廷としたかった。しかしイエスは、全宇宙の王としてピラトの前に立っていた。そして言った、「私の国は、この世のものではない」と。ピラトは、このイエスの答えを聞き、自分の裁きの範囲ではない、すなわち、イエスは政治犯ではないと結論したかった。しかし続けて語られた「私は真理のために証言するために生まれ、そのためこの世に来た。真理から出る者は、私の声を聞く」というイエスの言葉は、ブルトマンによれば、ピラトに一つの決断を迫るものであった。それは、イエスの国は、この世のものではないが、それはまた、この世と決して無関係ではなく、返ってすべての人間に関係するものだから、世に平穏をもたらすよりも、国家がその内部に秩序を打ち建てる領域を動揺させるものであるということである。そして、それはこの世の仮面をはいで、罪の世であることを暴露することにより、世に挑戦するものであり、ピラト自身も、いまこの挑戦を受けていることを自覚すべきものであった。
 それゆえ、ピラトが「私は、あの男に何も罪を認めない」と中立の立場をとったのは、もはや国家の代表者としての態度ではあり得なかった。そして、それを不承不承にも彼に認めさせたのは、皮肉にもユダヤ人たちのこの世的な思いから発せられた叫び声であった。

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