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2008/09/16

ピラトへのイエスの引き渡し

ヨハネの福音書(第18章28節~32節)

 「イエスをピラトに引き渡したのは、世の本質としての虚偽と殺人である」とブルトマンは言う。これは、するどい洞察である。世の本質は、「虚偽と殺人」なのである。それは、世が悪魔に支配されているからであり、善良な人々も、この支配者に従って悪を行わせられているからである。実に何人も、自分の力では、正しく生きることができない。これがキリスト信仰の確信であり、ブルトマンの確信なのである。
 ああしかし、この確信に立たない信仰者がいかに多いことだろう。彼らは、世にも良いものはあるという。そして、その良いものを成長させることが自分たちクリスチャンの使命だと言うのである。確かに、この世は神が創られ、維持しておられるものだから、そこには、良いものもあるに違いない。しかし、世と協力してそれを発展させることができると考えるのは、間違っている。人の心は、100%罪に汚染されてしまっているからである。そこで、世を改善することができるのは、協働ではなく、裁きである。ただ神の裁きだけが世を改善することができる。しかし、その裁きというのは、罪人を切り捨てるものではなく、赦し、救う、十字架における愛の裁きなのである。
 そのように世の虚偽と殺意がイエスをピラトに引き渡した。イエスの殺害に、国家権力を利用しようとしたのである。恐ろしいことであるとともに、そこに、そのようにされたイエスの偉大さを見る。ブルトマンは言う、「世が求めているのは、国家権力の力をかりて啓示を力づくで沈黙させることである」と。主イエスの大宣教命令を自分に向けて語られたものと捉え、それを実践したことのある者は、世がそれに対してどのように応じるかを知っているので、ブルトマンのこの言葉を重く受け止めることだろう。
 しかしブルトマンによれば、彼らのそのような悪知恵も、また神の配剤の中にある。それらは、キリストに関する預言がことごとく成就し、神の救いが表されるためだったのである。

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