ひとりでいる日:聖書黙想
黙想の時は、3つの目的を持つとボンヘッファーは言う。すなわち、聖書を読んで、「思い巡らすこと」、「祈ること」、「とりなすこと」の3つである。それゆえ黙想の時は、空虚な時ではなく、豊かで感動に満ちた時であり得るのである。とりわけ、ボンヘッファーは、「御言葉が今日という日のために、自分に、まったく個人的に何事かを語るにちがいない」と言う。それは、彼が御言葉を「ただ教会のための神の言葉であるだけでなく、またわたしにとっての個人的な神の言葉でもある」という約束として受け取っているからである。
しかし同時にボンヘッファーは、また非常な用心深さをもって、「わたしたちは黙想の時に、新しい思想を発見する必要はない」と言う。ちょうど、マリアが羊飼の言葉を、その心のうちに「思いめぐらした」ように、御言葉が、私たちがそれを読んで理解するように、私たちの心に沈み込んで、私たちのうちに宿るなら、それで十分なのである。そのようにして、自分の意図としてではなく、神御自身が御言葉をもって私たちを養い育てて下さることが私たちに与えられた神の約束なのである。それゆえボンヘッファーは言う、「喜びではなく神を求めよ。これはすべての黙想の根本規則である。もしあなたが神のみを求めるなら、あなたは喜びを受けるであろう。これがすべての黙想の約束である」と。
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