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2008/07/29

ひとりでいる日:ひとりでいることと沈黙

 「ひとりでいること」は、「交わり」と対称を成すことがらである。しかし「交わり」は、「本質的には一人である者」同士の関係であり、両者は対立しながらも調和した関係にあるのである。それと同様の関係が、「沈黙」と「会話」にも見い出される。すなわち、会話が成り立つためには、話している者と共に、そこに沈黙している者がいるのである。とりわけ、ボンヘッファーが言うように、「御言葉は、騒がしくしている人にではなく、沈黙している人に来るのである。神殿の静けさは、その言葉において聖なる神がそこにいますことのしるし」である。
 一般的には、「沈黙」という状態は、「拒絶」、「軽蔑」、「無関心」等々、様々な精神状態の結果であり得るのだが、ボンヘッファーによれば、「言葉との本質的関連においては、神の御言葉の下で、個々人がただ単純に静まることであり、それ以上のこととしては認識されない。」というのは、彼が警告するように、沈黙がそれ以上に出るとき、それは「荒涼と驚愕に包まれた恐るべき荒野であることができると共に、それはまた、自己偽慢のパラダイスでもあり得る」からである。
 だから、ボンヘッファーは勧める、「たといどうであろうと、だれも沈黙から、そのためにキリスト者が沈黙に入ったところの神の言葉との端的な出会いより他のものを期待しないようにしよう。そうすればこの出会いは、彼に賜物として与えられるであろう。キリスト者は、この出会いから何を期待し、あるいは希望するかという条件を設定しないで、ただそれが自分に来るままにそれを受けるならば、キリスト者の沈黙は豊かに報われるであろう」と。

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