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2008/06/17

どうしたら神に完全に従えるのか?

 そもそも人は、なぜ神に従わなければならないのだろうか。被造物は創造主から、ある目的を持って造られたのであり、この目的に沿って生きるべきであることは、明らかではある。しかし、それを認識することと、神に従うこととは、まったく別のことである。
 人は、「どうしたら?」と考える。しかしその追求が、文字通りの「どうしたら?」ではなく、「どう考えたら?」となってしまっていることが多い。しかし、もしそうだとしたら、我々は、あの気の遠くなるような、イスラエル民族の背信と神の救済の歴史をまたぞろ歩み始めているのである。それは、律法による呪縛であり、同時に罪による呪いである。
 どうしたら私たちは、この呪いから解放されることができるのか。しかしそれは、聖書に明確に提示されている。曰く「キリスト・イエスにある命の御霊の法則は、私たちを罪から解放する」と。しかしまた、キリストは言われた、「一粒の麦が地に落ちて、もし死ななければ、それは一粒のままだが、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」と。これら二つの言葉は、どのように調和するのだろうか。それは、私たちがこの世に対して死ぬということである。ここから、すべてが始まる。
 もし人が、キリストに従うと言いながら、自分に死ぬということをしないなら、つまりキリストと一緒に、自分の人生をすばらしく生きたいと思っているなら、その人は、キリストに従っているのではなく、実はキリストを自分に従わせているのである。キリストに従うとは、自分を完全に捨てることであり、この世界におけるすべての望みを捨てて、自分の人生に終止符を打ち、その後にキリストに従って行くことである。
 それは一見、真っ暗闇の人生である。もし、その人生が明るくなり、実り豊かで、祝福されたものとなる可能性があるとしたら、それは正に奇跡であり、それはあなたの力ではなく、キリストの恵みなのである。そして、このことが必ず起こるというのが、福音なのである。そしてそれは、必ず起こるのであり、信仰とは、それが起こるのを待つことである。

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