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2008/06/05

信仰における勝利

歴代誌下 第20章

 父祖ダビデのような心を持って神を愛したヨシャパテを神は再度試みられた。神は、その愛する者を試練に遭わせ、彼がご自身に完全に従うかどうかを確かめようとされるのである。神は彼が、迫り来る試練を前にしてもご自身に完全に従うのをご覧になりたいのであり、彼を創造された神の全関心は、まさにそこにあるのである。そしてそれゆえ、信仰者のなすべき最も価値の高いことは、この試練による神の問いかけに、信仰の勝利をもって応えるということなのである。
 迫り来る敵の大群を前にして、ヨシャパテは、神に全面的に助けを求めた。否、彼は、神以外の者に頼ることを決してしなかった。このヨシャパテの応答に対して神は、アサフの子孫のレビ人ヤハジエルの口に預言を与えられ、ご自身がユダのために戦われると告げられた。ヨシャパテ王は地にひれ伏し、すべてのユダとエルサレムの住民も主の御前に伏して礼拝した。そして、レビ人のケハトの子孫とコラの子孫は立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した。
 ああ、何という美しい光景だろう。ダビデは、戦いにおいて民の心を一つにしたが、ヨシャパテは、信仰において民の心を一つにしたのである。彼は、民と協議したうえで、主に向かって歌をうたい、主の聖なる輝きをたたえる者たちを任命し、彼らに軍隊の先頭を進ませ、こう言わせた。「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。」彼らが喜びと賛美の歌をうたい始めると、主が彼らのために戦われ、敵は全滅してしまった。何ということだろう。ダビデは、剣で勝利を修めたが、ヨシャパテは、信仰により勝利を修めた。このことによりヨシャパテは、賛美は剣に優るということを身を持って示したのだった。しかも彼は自分の治める民と心を一つにしてこのことを行ったのであった。これにより、ヨシャパテは、あらゆる面でダビデに優ることを行ったのである。
 ああしかし聖書は、キリストのことをヨシャパテの子とは呼ばず、ダビデの子と呼ぶのはなぜだろう。それは、ダビデの心は生涯を通して、神と一つであったからだ。しかし、ヨシャパテは、試練が去ったとき、神から離れてしまった。敵の大群を前にして、神にのみ助けを求めた彼が、平和なときにイスラエルの悪王アハズヤと協定を結んだ。神は、ヨシャパテのこの行いを預言者エリエゼルにより指摘され、その企てを打ち壊された。生涯を通じて、ただ神のみを思い、神と共に歩むというこの一点を神から授かったのは、ただダビデのみだったのである。

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