« 2008年5月29日 | トップページ | 2008年6月4日 »

2008/05/30

主への愛と民の裁き

歴代誌下 第19章

 ヨシャパテは、アハブからアラム軍との戦いに誘われて同行したが、この戦いでアハブは戦死し、イスラエル軍は、飼う者のない羊のように散り散りになってそれぞれの場所へ逃げ帰った。ヨシャパテも無事にエルサレムの宮殿に戻った。すると先見者ハナニの子イエフがヨシャパテの前に進み出て言った、「悪人を助け。主を憎む者の友になるとは何事ですか」。ヨシャパテは、アハブとの友人関係を神と自分の関係と同列においていたことを指摘され、深く反省したことだろう。彼は良く考えて、国における裁きの重要性を認識したに違いない。すなわち、人は神と富とに兼ね仕えることはできないし、また、キリストが言われたように、世と慣れ合っていては、神に仕えることはできない。
 それから彼は、エルサレムに住んでいたが、そこから出かけて、民の中をベエル・シェバからエフライムの山地まで巡り、彼らを先祖の神、主に立ち帰らせた。しかし、彼はまた同時に、そのような啓蒙と教育の限界をも実感したに違いない。というのは、このおびただしい数の民を前にして、彼が一人でその任務を全うすることは不可能であるし、また一方で、人が神に従うということは、非常に多様な事柄であり、そこに含まれる意志と認識による解釈の多様性、さらに運用において必要となる自由度等々の問題から、これらを組織的に遂行することも、また非常な困難を伴うということである。つまり、ヨシャパテが人を育て、彼らに民の教育を分担させても、彼の精神を末端まで行き届かせることは難しく、人の心は、様々な妥協策や悪いことを考え出すものだからである。
 そこでヨシャパテは、先見者ハナニの子イエフの言葉を思いだした。そして、教育の基礎としての律法による正しい裁きを徹底させることにした。彼は、街々に裁き司を置き、彼らに神に対する誠実な心で、すべてにおいて神の助けにより、正しい裁きを実行することを命じ、励ました。そして、祭司長アマルヤをそれら裁き司たちの監督に任命した。ヨシャパテは、父祖ダビデのように先祖の神を愛する心でこれらことを行ったのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月29日 | トップページ | 2008年6月4日 »