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2008/05/21

旧約聖書の復興

「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。 ヨシュア記 第1章 2節

 ここに記されている「モーセ」が律法を表しているとすれば、「モーセが死んだ」とは、「律法の世界が終わった」ということを示す。そして、ここで神が語りかけておられる「ヨシュア」は、ヘブル語で「イエス」であり、その意味は「主は救い」である。
 このヨシュアこそ、律法の世から、まったく新しい約束の世へ民族を導いて行くただ一人の勇者であり、神は、主イエスにより、この救いの御業を完成されたのである。しかし、ヨシュアに率いられて約束の地に入ったイスラエル民族は、そこの先住民族をすべて滅ぼし尽くすことはできず、それらの民の一部を領土の中に住まわせ続けることとなったので、それら異邦の民は、彼らを誘惑する罠となり、イスラエルに完全な平和が訪れることはなかった。そして、ヨシュアが老年に達したとき、神は再びヨシュアに言われた。「あなたの征服すべき地は、まだ多く残されている」と。
 私たちが生きる現代の状況は、この老年のヨシュアの状況に似ている。私たちの前には、主イエスが成し遂げられた偉大な御業とそれによりもたらされた無尽蔵の祝福が用意されている。しかし、まだだれもそれを完全に手にしていないかのようだ。日本におけるクリスチャンの割合は非常に低く、教会の中にも心の病を持つ人がたくさんいる。悪の力は、現実の社会においても、インターネットの仮想社会において横行し、多くの人が、物理的にも、精神的にも圧迫を受けて、苦しみの中にある。キリストの福音には、それらの人々を解放する力があるのだが、それを届ける人、すなわち働き人が、量的にも質的にも、圧倒的に不足しているのである。
 このような今日の状況を、上述のように旧約聖書との関連において把握する者は、また自分が今どのような立場にあるかをも理解するだろう。すなわち、私たちは、まだ戦いの中にあるのである。そしてこれは、悪の力との戦いであり、この戦いは、主の戦いなのである。このことに思い当たったとき、その人にとって旧約聖書は、生きた現実として復興する。なぜなら、そこには、主の戦いについて記されているのだから。旧約聖書のすべては、主の戦いであり、私たちがその戦いを雄々しく生き、そこに約束されている勝利を主イエス・キリストにあって勝ち取るために記されたのである。

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