« 2008年5月2日 | トップページ | 2008年5月6日 »

2008/05/03

神の働きをするために

 私たちが神の働きをするためには、特別な力が必要である。というのは、神の働きは、理論でも熟練でもないからである。それは、未来のこと、やがて成就されることの宣言であり、神のご計画の行使なのである。それゆえに、その実施には、なにか天的な力を必要とするのである。それは、賜物とか油注ぎとかとも呼ばれることはあるが、いずれにしても人間的ではない天的なものなのである。
 例えば、あなたが教えの賜物を神からいただいているとする。そのとき、賜物が働くということは、あなたが教えることにより、教えられている人たちが良く理解できるとか、成績が上がるとか、人間的に成長するといったようなことではない。それは、彼らが救われるということであり、神の栄光が現されるということなのである。同様に、あなたに賛美の賜物が与えられているとする。その賜物が働いたとき、聴いていた人が感動するとか、すばらしい音楽的な調和があるとか、そういうことではない。それは、それを聴いていた人の心が打たれて、神の前にひざまずくことなのであり、そのようにして、その場所に神の臨在がやってくることなのである。
 だから、そのような働きができるためには、あなたはそのために必要な賜物を神に願い求める必要がある。どのようにしたら、あなたがそれを受けることができるのか。それには、あなたが主イエスの僕となることである。主イエスは、その僕にご自身の持っておられる賜物をお与えになるからである。そして、主イエスはまた、その者にご自身の油注ぎを与えられる。主イエスは、かつて弟子たちの中から何人かを選び、付近の町々へ使わされた。そのとき、悪霊が彼らの言うことを聞き、人々から出て行くような権威を与えられた。この権威は、主イエスから出て、その僕の上に留まるのである。それは、彼が主イエスの僕として神の働きを成すことができるためである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

主イエスとの出会い

 「主イエス様、私をあなたの僕としてください。」この祈りは、あなたが完全に主イエスのものとなるための祈りである。しかし、それはなかなかかなえられないかもしれない。それは、あなたが長年自分だけの力で生きてきたので、あなたが簡単には、自分を主イエスに明け渡せないからである。しかし、この祈りを何度も祈っているうちに、次第に、少しずつあなたの中から力が抜けていくのを感じるだろう。それは最初、なんだか気だるさを伴うように感じられるかもしれない。あなたにとって、それは、少しばかり不快感と不安をさえ伴うものかもしれない。しかし、それでもあなたが切なる願いをもって、主イエスの僕となることを願い、祈るならば、次第に主イエスご自身があなたに近づいて来られる。そして、あなた自身も主イエスに近づいて行くのである。それは、あたかも目隠しされたあなたが主イエスを求めて手探りで近づいて行くようなものである。しかし、この試みの中で、あなたは確実に主イエスに近づいて行くのである。それは、主イエスご自身があなたをご存知だからである。そして、あなたが主イエスと出会うための次の段階にあなたは到達することになる。
 主イエスと出会うための次の段階は、あなたの内に、主イエスを慕う切なる思いが湧き起こることである。あなたの願いは、ただただ主イエスとお会いすることだけになる。あなたの心は、主イエスに向かって渇き、主イエスを求め、ちょうど聖書に「鹿が谷川の水を慕うように…」とあるように、あなたの心は主イエスに向かって渇き、焦がれるようになる。この切なる思いがあなたの心に湧き起こるならば、あなたは主イエスを知り始め、主イエスはあなたに近づいて来ておられ、あなたはその気配を感じ始め、その麗しい香りに接し始めたのである。この段階の祈りは、すでに香しいそよ風のなかにいるような麗しさをもってあなたを魅了する。それは、主イエスの御臨在であり、あなたはそれを求め、長く座って祈っても苦にならなくなる。あなたはこの主イエスの気配を慕い、祈りの座に座るようになる。これは、主イエスが「求めなさい、そうすれば与えられるであろう」と言われたことによるのである。
 主イエスとお会いするための次の段階は、主イエスが「探しなさい、そうすれば見出すであろう」と言われたことに対応する。驚くべきことに、あなたは、あなたに近づいて来られている主イエスを探さなければならない。この霊的な世界の探求は、すべてあなたに委ねられているのである。この世界は、すべてが積極的である。それは、ちょうど主イエスが、「天国は今に至るまで力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」と言われたようである。しかし、あなたが主イエスを求めて探すとき、それは遠くまで出て行って探し回るのではない。主イエスは、実にあなたのすぐそばまで来ておられるのである。あなたの手の届くところ、息が掛かりそうなところに主イエスは来ておられるのである。これが主イエスの積極性であり、それに対してあなたの積極性は、彼を探すということである。この二つの積極性が出会うとき、感動的な出会いが起こるのであり、これはどうしてもそうでなければならないのである。それは、ちょうど恋人たちがかくれんぼをするような喜びに満ちている。そしてあなたは、このことを知らなければならない。それは、主イエスとあなたは、そのように互いに慕い合う間柄だということである。それは、聖書に書かれているように、実に花嫁と花婿の関係なのである。そのようにして、あなたがあなたの回りで主イエスを探すとき、主イエスはそこにおられ、あなたは主イエスを見出すのであり、主イエスはそのことを言われたのである。すなわち、「探しなさい、そうすれば見出すであろう」と。
 あなたが主イエスとお会いする最後の段階は、主イエスが「たたきなさい、そうすれば開かれる」と言われたことに対応する。あなたの近く、ほんの近くに来ておられる主イエスを探して、麗しい探求の中にあるあなたに、ついにある瞬間が訪れる。それは、あなたの心に突然に、「たたく」という衝動が湧き起こることである。それは、いつということは言えない。それはもう、もはやあなただけの行為ではない。その衝動は、実に主イエスから来るからである。ちょうど主イエスがあなたが差し出した両手にご自身の御手で触れられるように。しかしこの「たたく」という衝動があなたに与えられるやいなや、それは激しい衝動となってあなたの内からあふれ出る。あなたは、主イエスに向かって、ただひたすらに扉をたたき続ける。それ以外にもうあなたの成すことはない。しかしあなたが主イエスとお会いするために、そのことがどうしても必要なのである。そしてついに、主イエスが言われたことがあなたに実現する。「たたきなさい、そうすれば開かれる」と言われたように、その扉があなたのために開かれるのである。そして、主イエスが出てこられる。そのようにして、あなたは主イエスとお会いするのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月2日 | トップページ | 2008年5月6日 »