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2008/04/16

ソロモンの祈り

歴代誌下 第6章

 ソロモンは、イスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を天に伸ばして、天におられる万軍の主なる神に祈った。その祈りは、なんと驚くべきものだったことか。
 彼は言った、「あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために天が閉ざされ、雨が降らなくなったとき、この所に向かって祈り、御名をたたえ、あなたからの懲らしめによって罪を離れて立ち帰るなら、あなたは天にいまして耳を傾け、あなたの僕たち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らに歩むべき正しい道を教え、斯業としてあなたの民に与えて下さった地に雨を降らせてください」。
 民が罪を犯しても、この神殿に向かって祈り、御名をたたえ、そして悔い改めて主に立ち帰れば、罪が許されるという。このようなことは、かつてなかったことである。モーセの律法によれば、罪を犯したら、厳格な罪の購いの儀式と捧げ物が必要とされる。このソロモンの祈りにも、もちろんそれが暗黙に想定されてはいただろう。しかし、ここで彼が祈っているのは、一人一人の罪のことではなく、民全体の罪のことである。購いの儀式により、人の罪が赦されるのは、それ以前に、イスラエル民族の選びが神の前に継続している必要がある。しかし、イスラエルの歴史の中で、その神との関係が実際に途切れたことが何度かあった。例えば、士師記においては、そのたびに神は、士師を送り、イスラエルを敵の手から助け出し、彼らの罪を裁き、購い、ご自身との元の関係に連れ戻して下さった。また、イスラエル史上最大の悲劇であるところのバビロン捕囚においては、イスラエル民族は、自らの罪の大きさの故に、神の御前から投げ捨てられることになった。しかし、ここにソロモンの神殿ができた。そして、罪を犯した民がこの神殿の前で祈り、主の前に罪を言い表して悔い改めるなら、神が天からそれをご覧になり、民の罪を赦し、神との元の関係を回復して下さるのであり、もはや神と人の間に、特別な裁き人は必要ないと言うのである。
 これは、まぎれもなくイエス・キリストの救いを指し示している。その全き購いにより、もはや神と人の仲介者は、必要なくなったのである。そればかりか、イエス・キリストの身体的な形姿ももはや必要ない。信仰者の中におられる聖霊が主イエスの栄光の御姿を心に啓示してくださるからである。

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