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2008/04/08

志の継承

歴代誌下 第2章

 ソロモンは、父ダビデから申し送られた神殿建築に取りかかった。彼は、外交にも長けていたので、父ダビデと友好関係にあったティルスの王フィラムに使節を遣わし、支援を要請した。フィラムは、このソロモンの要請に応えて、聡明で熟練した職人の頭フラムを派遣してきた。ソロモンは、自分の建てようとしている神殿についてフィラムに語った。「わたしが建てようとしている神殿は大いなるものです。しかし、この方のために神殿を建てる力が誰にありましょうか。天も、天の天もこの方をお納めすることができないからです。主のために神殿を建てようとするわたしは何ものでしょうか。神殿は、ただ主の御前に香をたくためのものでしかありません」。
 ソロモンは、父ダビデの「主の名声と光輝を万国に行き渡らせるため」との志を継ぎ、壮大な神殿建築に彼の全力を注いで取り組んだ。それは、主の威光にふさわしいことであった。時として人は、自分が成し遂げた業に過度に終着してしまうことがある。そして、端から見ると、神を崇めているのか、自分の業績を称えているのか、良くわからなくなってしまっていることがある。しかしソロモンは、自分のしようとしていたことの意味を知っていた。
 父ダビデは、「私はレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は、天幕を張った中に置いたままだ」と言って、神の箱を納めるために神殿建設を計画した。しかし、その子ソロモンは、王になってから、神の箱の前ではなく、ギブオンの高台にある主の臨在の幕屋の前の祭壇で主に仕え、その延長として、神殿建築を捉えていたことだろう。そんなソロモンに対して、神は夢に現れ、彼を祝福したのであった。
 人が主に仕える仕方は様々だが、主の御前には、その違いはどれ程のものだろうか。父の志は、かくして子に受け継がれ、神はそれを良しとされるのである。いやむしろ、ソロモンが父ダビデからの申し送りをただ漫然と実施したのではなく、彼自身の心でそれを受け止め、自分なりの認識と方法でそれに取り組んだことに大きな意義があるのではないだろうか。後継者の解釈により、継承において、あるいはそこに失われる要素もあるかも知れないが、あくまで先人の志を継いでいるのだということと、神がそれを導かれるということにより、その全体が神の御心にかなうものとなるのである。

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